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父が亡くなって「49日は7/29が日曜日ですし予定は入っていませんので今から決められたら如何でしょう? 8月に入ると諸行事が多くて・・・・」
という住職の提案で即決定となった 指を折って数えると40日め 当日も朝から太陽がギラギラ照り付けて開会の10時になったら冷房もとても能力以上で皆さんだいぶ暑かったようです。 和尚さんもそこは慣れたもの・・・ 「楽な姿勢でご供養されて、しっかり汗をかいて下さい、所要時間は40分です」 と仏にも参列者にも配慮した言葉です 2部屋、14畳の間に24人、6台の扇風機もフル稼働! 住職がお話されるには 人は亡くなってから49日までを中陰といって霊魂は生と死の間を彷徨っているのだそうだ 7日、7日毎に閻魔大王が現われて、現世の事情聴取をなさるという、だから近親者で「南無阿弥陀仏」とお札を張って極楽浄土の支援弁護をするのだそうですね そして49日、いよいよ裁断が下るのだという 一方他の説は 引導を渡された生き仏は49日かかってその引導でコツコツと1本道の土のトンネルを掘って三途の川を渡り着いたところに閻魔大王がまちかまえていて地獄極楽の裁断が下るのだという説(土葬の時代) 札打ちは迷わず三途の川まで達するように支援するのだという またこんなことも・・・・ 49日には自宅の縁側に清水をタライに満々と汲んでおくのだという、生死をさまよう霊は何度か現世に帰ろうと我が家に立ち返るのだというがこの日の我が水鏡を見るとすっかり仏に成り果てている自分を見て「こんな姿に生まれ変わったのか!」と観念して成仏するのだという 私がこの耳で聞いた取り留めのないお話です 3つのお話の相関関係はまったくありません。 亡くなってから49日までを中陰といい、それが終わったので満中陰が49日で大切な仏教行事なんだそうですね。 この満中陰説、子供の頃は聴かなかった言葉ですが中国地方の瀬戸内地方が発祥地だという、現役時代転勤族同士の職場であったが誰かに香典をしたらこの49日を満中陰といって「満中陰志」を送られてきたので恐縮した記憶がありますがわが地方では49日法要の日に「形見分け」といって故人の生前の衣類を希望者に差し上げるのが習わしでありました。 日本が高度成長を遂げた頃にはこの習慣もすっかりあせてしまったようですがそれが本来の故人を忍ぶ一番良い方法だと思いますね。 私は10年ほど前に亡くなった義兄のジャンパーをいまも大切にして冬の外出衣にして兄を偲びます。 --------------- 予定通りお経を終え徒歩6分の墓地に納骨して無事49日法要を終えました。 待ち構えるようにしてマイクロバスに乗って昼食会場へと向かいました 8月のなると早々に新盆の用意の取り掛かる事になります お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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