カテゴリ:歴史を語る
2週間前の細かい降雨から17日ぶりにやっと雨となりました
今日現在でこの1週間の降水量は米子で115mmでやっと100をオーバしてくれました。 しかし、たかだかこのくらいですがまずは恵みの雨となって大地を潤しましたがもう一雨二雨も欲しいところです。 その証拠は近くの1級河川の水量をみるとよく解ります ーーーーーーーーーー 今回は日記から離れて私のブログ「Day by Day」について書いてみようと思います 大したことではありませんのでパスしていただいて宜しいですよ この題名は私が考案した言葉ではありません高校時代の歴史の教科書に載っていた?ものを借用しました エドワード S モー(る)ス ★青色の文字をクリック 考古学を好きな方なら勿論ご存じしょうね? 現在では大森貝塚」の発見と考古学の先駆者として定着しています このモース先生、19世紀の米国人で我が国の明治初期10年頃のお抱え教師でした。 私が習った歴史の教科書を今見たのですが彼の名は載っていません大森貝塚さえみあたりません? 確かに歴史で習ったのですが当時の歴史の教師は随分と熱心なお方だったですから余談話として話題を提供してくれたのでしょうか?陶山先生でした。 内容は全て忘れて記憶に在りませんがモールス信号にかけて名前だけは覚えていました。 さてこのモース教師を乗せた汽車は大森村を走っていました、ふとみると走る車窓のなかから不思議な崖の地層が見えます興味をもって眺めていたのでしょうねえあれはいったい何だ!? 古代人の生活の跡 カイガラ等がむき出しに埋まっていたのが見えました(まだ貝塚)という言葉は後世になってからつけられたのでしょう。 それに興味を持った先生、チームを組んで発掘調査が始まりました、出るは出るは・・・・(小生の想像です) これ以降「考古学」という学問が確立されたという事で歴史上意義ある「大森貝塚」です。 考古学ブームというのはロマンがありますね誰も解らないし書物もないし殆どが想像だというのがいいですね この先生は我が国に2か年、東大で教鞭を執りながら書いた日記がそもそも 「Japan Day by Day」 訳「日本滞在日記」であり今も現存し文庫本になっているようです その本まで読もうとは思いませんが高校の先生が大森貝塚の話をしてくれたおかげで知り得た私のわずかな知識はDay by Dayだったのです 社会人になった私のメモノートは全て「Day by Day VOL:**」という題名にしていました。 だからこのブログを始めるのにはこれしかないな~と即断した次第です 先日、私のブログ仲間「ただのデブのブログ」「今日は何の日」のなかで大森貝塚が紹介されたのがきっかけとなってこの記事となりました。 ーーーーーーーーーーーー 私のブログも873回、 2006/5/26~ 日記記入率:33% 平均アクセス 55/日 となっています。 すでに満7年を経過しました話題も少なくだんだん記入率が低下するのが気になりますが出来るだけ続投したいと思いますので宜しくお願い致します <余話として> モース先生は 両手両利きだった 左右の手で別々の文章や絵を描くことができる両手両利きであった。 『Japan Day by Day』に掲載されたスケッチも両手を使って描かれたもので、両手を使うので普通の人より早くスケッチを終えることが出来た。 講演会でも、両手にチョークを持って黒板にスケッチを描き、それだけで聴衆の拍手喝采を浴びるほどであった。脳を献体するという遺言も、両手両利きに脳が与える影響を研究してほしいというモースの希望によるものである。 余話はウキペジアより引用しました お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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