カテゴリ:歴史を語る
我家には徳川時代の天保時代に建てられた土蔵が健在しています
<棟札>(むなふだ、むねふだ) 天保15年(弘化元年)今から170年前でそんなに驚くほど昔ではありませんが個人宅の建物です。 なにせペリー提督が浦賀沖に4隻の蒸気船で来航する前には在ったことになりわれながら感心しています さぞかし、「お宝探偵団が」 とんでもない、中身を処分して今では長持ちに古布団、座布団等 ネズミに噛まれては困るものが入れてある程度で自慢するものはなにもありません。 戦後はほぼ玄米の貯蔵庫として使用していましたがネズミの恰好の餌場として亡父はその退治に躍起になっていた頃を懐かしく思い出します 昭和43年の母屋新築と一緒に殆んど始末してしまいましたが、天保、弘化、嘉永、安政、万延・・・・平成と13の元号を共に風雪に耐えて今津家の守護神と思えばさすがに「大したものだ」と愛おしくなります それでは文化財! とんでもない、その価値はまったくありません 昭和30年に屋根材、瓦を改修しています。 たただ古いというだけですが少し自慢なのは大4、小3 合計7つの「長持ち」が現存しています。 ※長持・・・・婚姻時の物入れでお嫁さん、お婿さんが持参された蓋付きの直方体の収容函 子供の頃は、蔵に入りこの長持ちを見る折につけ「我家のご先祖さまたちが永眠している棺桶」と本当に信じて絶対に開けなかったからお笑いです 別個に倉庫はあるからこんな建物、「大人になったら溢して(解体)やるぞ!」と厄介物扱いしてきたのですが その折、父は怒りもしないで「北西側に在るので我が家の風雪防ぎの役割をしてきているから大事にせよ・・・」と この土蔵にまつわる「よしなしごと」を書きたいのですがそれは後日として・・・ ---------------------------- 外廻りりのしっくい壁がポロポロ落下して遠方から見て「みすぼらしくてみっともない状態」になりました。 事の起こりは14年前に「鳥取県西部地震」M7.2の大地震が発生したことがありますが皆さんにはもう記憶がないかもしれません。 なにせそれ以降、大地震が我が国を襲ってきていますので無理もありません。 その時のひどい揺れで、北側のしっくい壁に1/4ほど亀裂が入りましたが落下しなかったのが不思議でそのまま放置しておいたのですが(どうせ、潰すのだから)近年になってこのシックイ壁、やっと敏感になったのか老朽したのか?大雨、大風、台風時にまとまった単位でポロポロと落下するようになってきたのです 地震の時修理しておけば良かったのですが亀裂程度では補助の対象にはならなかったと思います。 あれから14年、さすがのシックイですね。あらためてこの壁の強さに感心するやら同情するやら ひとたび、亀裂が入るとそこに雨風が混入して接着能力が落ちて剥げ落ちて、そこで段差が出来るのでまたそこに風雨が・・・・ <ビフォア>この写真は既に修理途中で下地処理を行ったものです 土蔵とは字句のとうり厚い土の壁で覆われた蔵(物置)です。シックイはその外側の化粧なのでそれが剥げたといって大慌てする必要はないので、全部はげるまで待つか! なんて強がりいってみても、とうとう辛抱できぬ気持になりました --------------------- 今年は我が家の倉庫、塀の解体、そしてそれぞれの建て直しを行いました。 そして隣の土地では「わが娘家族のマイホーム建設」と・・・・「安倍のミックス」が泣いて喜んだ午年となってしまいました。 その職人さんの毎日の作業を見ているうちに「俺だってその気になれば何かやってみるか・・・」 サンデー毎日を過ごしていると昔執ったアマチュア杵柄がうずきだしてきたのです ---------------- シックイ・・・・なんて、どこのホームセンタでもあるものではありません。 昔は町に出ると知り合いの建材屋さんが在って使い走りしたものですが、その建材屋さんも時の流れか統合合併したり店仕舞いしてしまったりして素人ではその宛てがありませんでしたが、幸いにも近くのホームセンタに4kg入りのシックイが販売してあり跳びつくようにして購入したところからいよいよ私の出番となりました(笑) 長くなるといけないのでこの続編は次回でUPしますのでまたチェックインして下さいね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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