カテゴリ:歴史を語る
正面の大山の雪が少し地肌が見えやっと春めいたと思いきや10日の早朝から雪となった
低気圧の発達とともに真冬並みの寒波が西日本にも南下してきたのが原因らしい。 春の淡雪、名残り雪といえば情緒もあるがそれは、たかだか一日程度なのに2日間も続いて明日も寒い一日になるという。 せっかく、咲きはじめたもこう寒くては風情がない。 特に明日は北日本の日本海側は大荒れとなると夕方の予報である。 思えば今週は悪い事ばかりが重なった週である 東京大空襲の10日、続いて11日が東日本大震災と原発事故と忌まわしい思い出が続く 中国地方の私には広島の原爆は子供の頃から学校、地元でこの惨状は聞いたのだが東京大空襲で10万人の犠牲者が出たとのことは恥ずかしながら高校生になって歴史で初めて教わった <ウキペディア>によると ミーティングハウス2号作戦と呼ばれた1945年3月10日の大空襲(下町大空襲)は、高度1600–2200メートル程度の超低高度・夜間・焼夷弾攻撃という新戦術が本格的に導入された初めての空襲だった。 その目的は、木造家屋が多数密集する下町の市街地を、そこに散在する町工場もろとも焼き払うことにあった。 この攻撃についてアメリカ軍は、日本の中小企業が軍需産業の生産拠点となっているためと理由付けしていた。 空襲としては史上最大規模の大量虐殺とされる・・・・・と記されています 若い頃、聞いた話では「B-29は高度1万メートルからドンドンと爆弾を落とし高射砲で落とせなかった。敵はまるでゲーム感覚で爆撃して帰れば1週間も休日があった、そんな国に勝てる訳がなかった」・・・と どうも少し様子がおかしいです、こと3/10の夜間大空襲では違うようですね。 そんなことはどうでもいのです、奇しくも今週の「マッサン」では一馬の戦死、原爆投下そして終戦とドラマは展開され、改めて戦争が人間に及ぼす災いには測り知れない惨さが潜んでいるのだということを感じます。 そして11日の今日が東日本大震災で、なんともいえぬ不気味な週になってしまった。 あれから4年、被災地では追悼と復興の誓いが行われていてまだ20万人の方が避難生活を送っているというしたとえ避難生活が終えても今後の生計を考えると難問題が山積しているという。 そして、原発事故! 廃炉になっても実施は未定で専用ロボットが開発されない限りNGらしい、しかも高濃度の燃料のため普通のロボットでは無理だというから何をか云わんやでありこれも前途多難な課題である。 長かった今冬も終わりに近い、季節は我々の感情とは無関係に巡って来て彼岸も近い。 <まだ未完成>職人さん、交通事故で入院40日後やっと退院とか お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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