カテゴリ:歴史を語る
親戚の淳ちゃんが亡くなり今日はその葬儀に行ってきました。
今日は「淳ちゃんの思ひ出の記」を書こうとPCに向かっています 淳ちゃんは昭和8年生まれ、私と二従弟の関係にある。 淳ちゃんの実家はかっては拙宅の隣り村に在った 今は何もない 私の祖父が「淳ちゃんち」から入婿に来たのは明治後期の頃でそんな姻戚関係にあたる。 戦前の話で恐縮だが....... その田村家は昭和初期は醤油屋を営んでいたが、昭和11年、日本のカイライ政権、「満州国が誕生」したのを機に、新天地でもう一旗揚げようと家、屋敷総てをジゲの方に譲って6人家族で渡満して工場を構えて生産を開始する筈であった。住所は新京(現在の長春)であった。 昭和11年の頃である 淳ちゃんの祖父にあたるその吾人は 「行け満州へ!」「満蒙開拓義勇軍募集」そんな宣伝が新聞紙面を常に背有していた時代だ。 淳ちゃんの祖父は猛者で一端発したらテコでも動かぬ男だったらしい ところが経営不振でそそくさに工場を閉鎖してしまったらし。 その後継者の淳ちゃんの父は公務員となってなんとか家計をやりくりして来たらしい (中略) ソ連参戦、ホウホウノ態で逃げるようにして帰国した淳ちゃん一家を待っていたのは戦後のドサクサ、貧困の毎日で淳ちゃんの兄弟5人の男子供は親戚に分散して預けられそこここの小中学校に通った。 この淳ちゃんがわが自宅に1年間ではあったが私たちと家族6人と同じ生活を共にした。 僅か1年間ではあったが淳ちゃんは下駄履きで高校に通い、英語というものを一生懸命勉強していた姿は思い出深い。 彼らの両親は反物の行商の毎日であった 幸いにして帰国後2年目で淳ちゃん宅は借家が手に入り細々と9人の生活が始まった。 高校卒業後、淳ちゃんは地元の電気屋に就職しその真面目さを買われて、後継者になってくれと云われたそうだが自分の店が持ちたくて昭和36年、会社を退職しやっと電気店を経営することになった。 醤油屋とは縁もゆかりもないない職業だ 電化時代に入ってはいたがまだラジオ、裸電球時代の頃であったがおかげで早めに我が家もTVが入った。 世は力道山全盛時代! TV回路は真空管、白黒ではあったが初級者が勉強するにはこれが何よりの材料であった。 私はこの淳ちゃんの店に出入して云われるままに故障修理、半田ごての部品交換を手伝ったこと等、電気の知識の薫陶を受けたのは淳ちゃんのおかげであった。 オームの法則は回路を組んで抵抗、電圧を変化させ教科書のグラフを勉強したのは今でも記憶に新しい 「Nちゃん(私の愛称)爆縮という事を知っているか?」 「淳ちゃん、爆発なら知っているけどね、なんのことだね」 真空管は全てガラスで出来ているので手を切ることも多いが、これは爆縮と云って爆発の反対で内部がほぼ真空なもので破裂することはまずない、空気が外部から一点に集まってくる、TVのブラウン管だってそうだ。 こんなことも、日常の会話で教えてもらったものだ。 いつしか昭和の高度成長時代に入り、地元の電気店は大型店の参入があって、経営も難しくなってきた。 それでも淳ちゃんは個人商店として頑張ったが満70才を機に40年間続いた店も閉店して、子供の嫁ぎ先の沖縄まで住所を変えて暖かい国で老後を過ごすことになった。そう決心してお別れをした筈だっただが・・・・ 淳ちゃんの心を去来するものは「故郷に帰りたい、故郷がみたい、親戚、兄弟に会いたい」の望郷の念の口癖であったという 52歳で「クモマッカ出血」で九死に一生を得て社会復帰、そして70才まで奥さんを経理担当とし頑張り続けた。 そして、70才で閉店、これから悠々と暮らそうと思った矢先に「パーキンソン病」になった。 しかも悪いことは重なるもので「脳梗塞」で斃れリハビリの成果が実って無事退院、そころが退院後容態が急変して肺炎を併発してあっけなく亡くなってしまった。 個人経営で40年も頑張って来たのが身体を蝕んだのかもしれない。無理は禁物である。 お墓は戦前の実家のお墓に埋葬と聞いた、隆盛を誇った当時の醤油工場が眼下に見える辺りにそのお墓は在り既に兄貴はここでで永眠している。 兄弟に去来するものはなにか? 渡満までの隆盛を誇った故郷の栄華か、それとも満州での酷寒の辛い生活か、戦後のドサクサか? 「タムラ電気」の長い電気屋生活か? やっとのことで誕生の地に納まって安堵していることだろう。 兄弟、お互いに酒好きだったから、落ち着いたら酒盛りしていくに違いない 昭和8年生まれ、享年83才の生涯であった。 淳ちゃんに心からなる哀悼の意を捧げます、安らかに(合掌) 校正のない書き下ろしですので、誤字脱字にご容赦下さい。 <満州国とは>ウキペディアより拝借しました 清朝滅亡(1912年)後は中華民国の領土となったが、政情は安定せず、事実上、軍閥の支配下に置かれた。 昭和6年、柳条湖事件に端を発した満洲事変(満州事変)が勃発、関東軍(大日本帝国陸軍)により満洲全土が占領された。 関東軍の主導のもと、同地域は中華民国から離脱。 昭和7年、満洲国の建国に至る。 元首(執政、後に皇帝)には清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀が就いた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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