カテゴリ:自由欄
入院、病気の話題はこのあたりで止めておこうと思っているが何となく後味が悪いものが在ってこれをUPしておかないと気が晴れぬと思いがします。 これからお知らせする突然の不幸は、私の入院期間中で起こっていた出来事なのだ 細は凶事は遠慮して(私に)知らせないものだから解る筈がなかったのです。 といっても地方紙では「新聞お悔み欄」で解かるのだが・・・・・・ わが地区は純農村とはいえ、昭和40年代に大きな開発があり大団地が出来上がり国道筋でもあって大きく様変わりした地区の一つである。 しかし、細かく検証すればわが地区のように戦後3,4戸増えただけで何も変わっていない所もある。 その寒村に(土地代でも安価であったのか)鉄筋2階建て、入院設備、手術室組み込んだ外科医が開業したから地区民は驚いてしまった。 私より少し若い先生とは面識がなかったが2才ほど大きな兄貴がわが職場で一緒であった時代があって急に懇親が深くなってしまった。 彼らは男4人の兄弟? 3人は医者、もう一人が、私の同僚という訳である。 「君は兄弟が医者だからタダか? 」なんて冗談も言える中であった。 「そんな筈は健保制度上絶対無理な話しだぜ・・・・一番上の兄貴は産婦人科だ! 何所を診察してもらうんだ・・・それに同じ兄弟には診てもらいたくないなあ」 その親友のJ君とは事業所は同じだが部署が異なったりもしたものだが、同じ年頃に相次いで退職した。 この親友、退職を機に大山が大きく見える小高い丘陵地に家を建てたから(小生の自宅から3km程度)生活範囲圏内なので頻繁に出会うようになった。 それが退職後3年ほどで検診に引っかかり「肺ガンがついてね・・・・」と不満顔であった 2年間姿が見えぬと思ったら幸い初期であったので大してことではないと云いながら医者には診てもらっていたらしいのだが、還暦2年前にして帰らぬ人となってしまった。 なんとしたことであろうか、 人の命はこんなに軽く、哀れなものか、第二人生これからの折に、新築での宅葬が何ともお気の毒で真向に見える大山があんなに羨ましかったことはない。 親族代表が揃って並んでいる中に今回の弟のK医師が神妙な顔で末席に控えて会葬御礼の場で 「K先生でも、兄貴を助けてやれなかったのかね?」とヤボな事を囁いたことを思い出す。 先生も油が乗り、50代のバリバリのやり手であった頃である。 ーーーーーーーーーーーーーーー その頃以降、我が家はその頃は6人家族で 私たち夫婦、子供2人、そしてわが両親。 両親も70代後半、子供は中学生・・・ 風邪を引いたら、腹が痛くなったら、転んだら、蜂に刺されたら・・・・・その距離は500mほどである。 気さくな医者で、日曜日の自治会主催の春夏の溝さらえ、秋の運動会は楽しみの一つで率先して出席する飾らない人柄であって自分の役目をチャンと果たす真面目な人柄でもあった。 家族揃ってこのK先生にはお世話になった。いちいちUPすることは紙面が足りないほどだ。 近年になって、K先生自らが隣の空地を譲ってもらって家庭菜園に精を出す姿を見かけるようになった。 「医者を辞めたらなあ、百姓でもやろうかと思ってね」と、なかなかネシャ者(働き者)であった。 「自分の作ったものはうまいがね、人生何でもやっておかなくては・・・・」それがK先生の口癖であった。 それが1昨年の正月明けから、70才を契機に医者を息子に全て譲り外国旅行、自宅のリフォーム、家庭菜園とまるで職業が変わったようになってしまった 誰もが引き際の鮮やかさに飽きれてしまった私は「少しは息子さんの手伝いをしてやればいいのに」 「俺の親父はこの稼業を70歳で譲ったが、これが我が家のしきたりでね」と淡々として語った それが何故に・・・・・私が再入院中の5月31日に突然逝ってしまったのだ ーーーーーーーーーーーーーー 私はその頃、複数の医師からエコーで肝臓を探りつつ「肝精検」をやってもらっていた頃である。 妻は内緒でいたというのであるが知ったからとて病院から「外出届」を出すわけでもなく、それが自然であったのかもしれないのだが・・・・・・ あれからも2ケ月も経ってしまっている。人の噂も75日・・・・ やっと本日になってその真相が解かってきた。 前述の兄貴と同じビョウメイらしく、それも同じ臓器・・・・・・! 「1年前からわかっていたらしいが僅かの余生を好きな事に没頭するにも程がある」 と友人は怒って知らせてくれた 医者の無養生とはこの事か・・・・ 詳細は不明だが、それにしても身の置きどころもあるというものだ。 死の数日前まで自宅のリフォームの手伝いで屋根の上で左官の手伝いをしていたというから人間のする技ではないと驚いてしまった。 ーーーーーーーーーーーーーー ここまでの記事の肉付けは小生の想像を織り込んだもの、それにしても大事な医師を失ってしまった。 兄貴が亡くなって15年有余、こんどは弟がその跡を追うなんて、人生の無情を感じてやまない。 ここに謹んで弟医者のKさんのご冥福を祈るばかりだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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