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桜の季節、本格的な春の到来ですね
ここは山陰、日本海側で例年なら山陽に側に2,3日遅れるのに今年は逆のようです、しかも山間部も平野部もほぼ一緒ですからこれは忙しい花見だと思います。 今日、明日とドッと花見客で日本列島大賑わいのことでしょう。 ----------------------- 3月は別れの季節、彼方此方で別れが続きました。 相変わらず怖い、奇妙な少女の監禁事件もおこったり、中東ではテロ事件で怖いですね 北海道新幹線開業! スポ―はいよいよプロ野球開幕となりました。 大相撲は横綱:白鵬が優勝したのですが・・・何となく後味の悪い取り組みだったですね 甲子園高校野球選抜大会も行われ、智弁学院2-高松商業1で智弁学院がサヨナラ2塁打で優勝しました。 ----------- と書いて、桜の話題に行こうと思ったのですが・・・決勝戦で2-1サヨナラ、高松商業・・ 急にジワジワと昔の思い出が沸いてきたのです。 この選抜高校野球決勝戦を思い出しながら・・・・昭和35年(55年前)に我が母校が今回の決勝戦に進出した高松商業と決勝戦を戦ったのです 私は母校の在校生でしたのこの決勝戦の応援団となって初めての甲子園球場に入りました。 試合は息詰まる投手戦(松下ー宮本)となりました 0-0が続き、4回の表米東高校は無死で吹野が四球で一塁に歩き一死後直江の死球で一、二塁とした後、宮本の右翼線二塁打で先取点をあげました しかしながら、その裏高松は無死安打後、二死まで三塁に進み、捕手の逸球で拾いものの1点を献上して1-1の同点となったのです。 その後は一波乱あったものの引き続きの投手戦で延長戦かと思われた9回裏を迎えることとなりました。 この回のトップ打者の山口選手(後の阪急ブレーブス内野手で活躍)が1-2のカウントから左翼ラッキーゾーンへ今大会初のホームランを放ち勝敗を一気に決してしまったのです なんというこっちゃ!! 一塁側アルプス席応援団の私たちはライナー性打球だったので一瞬、ファールボールと思ったのですが、レフトの選手(細田君)が引き上げてくるのでやっとそれがホームランであることが判ったのです 三塁側の高松応援団は歓喜乱舞の渦であふれ、一方わが母校応援団は暫くはシーンとなっていましたが、わが応援団長は「皆さん、高松に拍手!」と大声で叫ぶや白手袋でリードをしたのです。 これこそ、敗者の美学がここにあるのだと思って相手を讃える拍手を送りました。若かったのですね(笑) 勝も負けるも「勝負は時の運」当時はアマチュアスポーツはこのように云われて最後まで奮闘する熱き心意気な態度に感激して声援を送ったものです 私もその近辺の同僚もそれに従いましたが、キューンと胸が締め付けられるような気持ちになって、腕からは鳥肌さえ立ったのを覚えています。 あっけないこの幕切れは苦い青春の記憶となって今でも選抜野球の都度懐かしく浮かんできます 戦い終われば「昨日の敵は今日の友」、私は技術系の仕事に就いたのですが研修所は三重県の鈴鹿市に在って全国の方が研修に来られます 寮内での懇親ではこの話題を四国の同僚に話すと同じ世代の方は覚えておられて随分と仲良しが増えたぐらいでこれ以降は大の高校野球ファンになりました。 <余談ながら> そのうえ受け持つ仕事はマイクロウェーブ中継線(無線)設備の保守担当だったもので春夏の高校野球はTV調整室での勤務では堂々と名勝負は観たものです(これが仕事でしたから) --------------- このたび、智弁学園が56年ぶりに「母校の敵討ちをしてくれた」なんてまったく思いません 反って、当時の宿敵、高松商業を期間中はずっと応援したくらいなんです・・・・・ 昨日の敵は 今日の友語る言葉もうちとけて我はたたえ つ かの防備かれは称えつ わが武勇! チイト 古い歌(水師営の会見)で恐縮でした(汗) ------------------------------ この大会の「まとめた」臨時週刊誌.....「毎日グラフ」を保存していますので一緒にUPさせていただきました。 <場内行進>優勝旗を持つのはサヨナラホームランを打った山口主将 <準優勝メダル>毎日新聞社社長より掛けられた吹野主将は、寂しい微笑のうちに頭をたれた 最後まで、お付き合いありがとうございました 次回は桜の話題です お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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