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派手やかでビッシリ詰まっていた8月、振り返れば盛りだくさんでしたね
今月は、9月・・・台風シーズン、そして老人の日があります 親戚のお婆さんが亡くなりました。 大正4年生れ、享年103歳 話は19年前に溯ります? (そんな昔に、、、です) 平成9年11月の秋の夕暮れ時、近所の老婆連中が雑談中に親戚のお婆さん(当時82歳)の気分が悪くなり倒れてしまった。いわゆる、脳溢血である。 家族から、その知らせを聞いてに駆けつけました。医者が云うには 「手術は無理です、お気の毒乍ら2,3日持てばいい方です。しかしそのまま止血すれば長期戦でしょうね?」 世間的にはよく聞く話、「已む無し」と家族親戚とも覚悟は致しました。 覚悟したのは、前述でしたが瞬く間に3,4日経過しました。 ーーーーーーー それから数日後、本人は何の意識もなく眠って自己呼吸しているだけ、時々身体をひねらしたり寝返りをうったり・・・・声をかけても「応答ありません」・・・・ ・医者が予告したように後述の状態になったようなのです。 医者「検査結果は脳出血の箇所が黒くなって固まっていますので、急変はなくこのまま継続でしょうね・・・」 それでも関係者は意識の回復を信じて看病を続けました、呼吸器等機械は使用していません、自己呼吸をしておりました。 医学的な詳細は解りませんが、呼吸器系をつかさどる脳の部所は異常がなかったかと思われます。 ーーーーー 手を握ってやると握り返す、咳ばらいをする、つめってやると顔をしかめる・・・ 「どうも、意識はあるみたいだぜ・・・・」「まさか・・・・?」 そんな日も続きましたが、数か月経つうちに、リハビリを兼ねた老人病院?に変わることとなりました。 ・その頃はまだ、介護保健制度もなく、本人は雀の涙の国民年金収入のみ・・・・ 病状は一向進展はしません。 あるとき医者から「その破裂箇所は黒く固まっていたのが、だんだんと小さくなって身体が吸収していく気配です。 しかしそうかと云ってその機能が回復していくことにはなりません空洞壊死?になっています」と ーーーーーーーー 救急病院で「長期戦と云ったのはこの事か!」と思いました。 そのうちにだんだんと、当初の反応らしき諸動作もなくなってしまいました。 毎日のスケジュールは寝たままで鼻からの流動食、下の処理、リハビリと単純な日々の繰り返しが続きます ※眠りこけたこの婆さんになんのリハビリか?と思いきや・・・ 「音楽鑑賞」なんだそうです、モーツアルトの曲も聞かせてありました(笑) ーーーーーーーーー この状態が1年、2年・・・と続き、介護保険制度も出来て3kmほどの施設にお世話になることとなりました。 勿論、病状は進展いたしません。時々は「風邪を引いたみたいだが医者に診てもらっていいですか?」と施設からの問い合わせがある程度です。 ・・・・ ・・・・ 業を煮やした家族は「十分な手当をしていただいたのですからこれ以上の治療は無用にしていただけませんか」ともお願いしたそうです。 ・・・・ これを植物人間というのでしょうか? 死んではいませんので、時々は筋肉がピリピリしたり腕を、足を動かすのは意識的に動かすのではないのです。 ・・・・ ・・・・ ・・・・ あれから18年の歳月が流れました (+++)×18年 眠りこけたまま「満百歳の目出度いお祝い!」 こんな状態ですので家族は行政からの記念品等も丁重にお断りしました。 ・・・・ <いつのことになるやら? ずっと眠り続けてしまって困ったものだ> ・・・・ 進展のないまま歳を重ねて19年、とうとう(やっと・・・)その日がやって来ました。 9月4日 23時 当直さんが巡回に覗いてみると「完全なお眠り」で呼吸が停止していたそうです ーーーーーーーーーーーー 毎年の正月、お盆、親戚の不幸、法要のたびに「**の婆さんはまだ居ってか?」 が近所、親戚の口癖となっていました。 20年間お世話したのはその家族、婆さんの孫(小生の甥)と小生の姉と2人です。 姉は若くして夫を亡くし、そして今回の19年間の寝たきり姑の世話と大変な半生であったと心からの労いをおくりたいと思います お婆さん、20年間どんな夢心地だったの? それにしてもあまりにも長かったね・・・・・と 蛇足乍ら、遺影は20数年前の溌剌とした写真で故人を偲んでいただくこととしたようです。 それもそのはず、眠った写真を使うわけにはいかなかったようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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