カテゴリ:自由欄
GWも終わりました、今回のUPはこれとは無関係な話題です。
前月、4月に庭石を撤去したその話を記すことにしました。 ーーーーーーーーーーーー わが家には明治時代から庭園(単に庭といっています)は在って現在に至っています。 村内の写真屋さんの出前でこの庭で家族写真を撮ってもらうことが習慣になっていたようです。 当時は写真は珍しかったので全員オメカシで写っています。 当時(明治、大正)のことだから、庭作りは山採り樹木を植え、近くの山川から良さそうな石を大八車に乗せて近所の人に手伝ってもらって我が家まで運んだに相違ありません。 すべてが人力の時代でしたので最大300kg程度までが一番大きな庭石だったようです。 ーーーーーーーー 時は移り、戦後の高度成長時代に入りました! 隣村のK造園業(庭石屋さん)がやってきて「お宅の希望の値段以内で行うので庭をいじらせてもらえないだろうか」と その4年前に母屋を新築した折でしたから、父は「俺にはそんな金はない、おまえにその気があれば好きなようにしたらいい」と・・・ そういわれれば、「俺も男、一丁やったるか!」ついつい寅さん気分になったのです 当時、私は26歳、庭園というものには興味はなく四季折々の手入れ、剪定、掃除に黙々と働いている父に面倒くささを感じていたのですが奇妙なものですね。 ーーーーーーーー そのK造園業の作業は、既設の庭石の移設をしておいて庭石大小8個を入れたのです。 これを、クレーンを操って3日で完成!させてしまった。 さすがに機械力はすごいですね! 今回は請負作業なので手出しすることもなく、ボッーとしてその機械操作を見ていました。 ーーーーーーーーーーーーー 出来上がりに対して特別に不満があったわけではありません。 しかし、だんだんと歳月がたつにつれ周囲の樹木が大きくなり、塀越しで見る周囲の景色が見えなくなってしまったのです。 全部の石が邪魔なのではありません、1個の大石が問題なのです 子供のころに見た景色がなくなってしまいました。 <ビフォアー>大石が邪魔で向こうが見えなくなった(左右はモッコク) 幸いにも自宅の庭の前は水田が開け300m先は国道、500m先は1級河川の堤防が一望できたのですが、この石と大樹が景観を塞いでしまいました。 ーーーーーーーーーー その大樹とは樹齢200年のモッコクですが我が家の「暮らしぶり」を見つめていたと思うと簡単には処分はできません。 石屋さんはこの大石がメインできっと「大山」をイメージしたのに違いありませんが・・・ 前置きが長くなりました ーーーーーーーーー その邪魔な庭石1個を撤去することにしました。 手続きは簡単で、友人の庭屋さんにお願いしたら後日、クレーンと運搬車両がやってきて60分ほどで運び出してくれました。 <作業開始>大きなビルを建てるようなクレーンがやって来た(笑) <つり上げ>5トンあったそうです 想像以上に重かったなあ・・・とはクレーンOPさん 私と女房はそれを見ながらハラハラ、ドキドキ「ワイヤーが切れたらどうしようか」・・と <アフター>撤去した甲斐があって向こう側の視界が良くなりました ※左右の樹木は新芽が出るころ頃、大雪のせいかやっと今になって出てきました。 子供のころの風景が蘇ってきて50歳も若くなったような気分になりました ーーーーーーーーー その石、どうして処分するのか? と問うと「時代が時代なら、すぐ使えるのだが今は庭ブームどころか・・・・処分!ブームでね・・・」と。 どうも、こんなものに金をかけようとする日本人が減ったみたいだ」と庭屋さんのTさんはボヤいていました。 ーーーーーーーーー 「当分、資材置場に置いておこう」と言われました。 亡母に 「冥途の土産に持っていけ!」と言ったら「要らない!」と怒るでしょうかね <出発!>「どこかのお宅のお気に入りとなって、可愛がってもらってね」 これで一巻の終わりです、導入した庭石はまだ7個は現在ではそこそこの存在感を呈しています。 <余談ですが> 「あの石は邪魔だねえ、処分したら・・」母は晩年になるとよく言ったものです。 しかし、父はどのように思っているのか解りませんが、資本したのは私ですから文句はないはずです(笑) えっ、撤去費ですか? 想像にお任せしますが、これで母との約束を果たしたので 「よい供養になった」と思っています。 些細な我が家の出来事へのお付き合い、ありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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