カテゴリ:歴史を語る
入梅から真夏のような天気でやっと秋めいてきたようです。
日本列島彼方此方で天候異変が続いてゲリラ豪雨等災難に遭われた方も多かったようですね。 しばらく、ブログも休んでいました。 どうもが不調であれこれと悩んでおりましたがなんとか現状維持で使用できるようになりました。 ーーーーーーーーーーー お盆も既に終えていますが母を偲んで(初盆)母から聞いた民話を紹介したいと思いますのでお付き合いください。 母の生家は米子の戸上観音寺という地区ですがこの民話はここが発祥の地なんです。 私が子供時代は6kmの地道を生家まで徒歩で郷行きに一緒に行ったものですがその道程で「戸上山の藤内狐と尻焼川」の話しを聞いたものです。 (注) 藤内狐・・・とうないぎつね この話は米子3大民話と言われています。 <戸上山を望む>当時はこの道路、水道管はありません。山は剥ぎとられました。 所説ありますが「母から聞いたその記憶」を優先して書かせていただきました。 ーーーーーーーーーーーーーーーー <民話の始まり> 鳥取県西部地方には日野川という一級河川が米子の東方を流れ日本海へと注がれています。 その河口から約5km上流の戸上観音寺集落で法勝寺川が合流しています。 その地域に伝わる「藤内狐」のお話です。 米子から皇女瓊子内親王を祀る安養寺のある山市場、郡部の手間、天津、法勝寺・・・を往来するのは、どうしてもこの戸上観音寺(以降 戸上と略す)を通ることになる。 この戸上山には藤内狐という悪狐が住んでおり通行人を騙しては悪行を重ねておったそうだ。 その昔はこの戸上道は昼なお暗き、村民が米子からの買い物をして通ると幾らかの物が足りなくなっており特に油揚げとなると必ず無くなっていた。 「これは、きっと藤内狐の仕業だ」と庄屋の家に集合して「戸上山の狐退治」の相談ができたが、いかなる罠にもその効果は無かった。 さて、ある夏の夕暮れ時のことである。 戸上山の麓に住んでいた鍛冶屋の爺さんが、馬を連れて農具売りに山市場から帰宅の途中で大きな松の木の下で娘さんが一人でうずくまって泣いていた。 「おやおや、娘さんどうかしたのかい?」 「お腹が急に痛くなりまして・・・・」 「そりゃいかん、わしの家に帰れば薬がある。さあ、早くこの馬に乗りなはれ」 「ありがとう存じます」 こんな恐ろしい道を、娘がよく一人で歩くものだと感心しながら娘を馬の背に乗せようとすると、普段はおとなしい筈の馬が何故か暴れだしたのだ 「はてな・・・・・」 お爺さんは手綱を強く引き、馬の動きをなだめてから、娘の体を抱きかかえ馬の背に乗せた。 随分と体の軽い娘であった。 そこでお爺さんは何を思ったのか、荒縄で娘の体を馬の背に強く縛り付けたのだった。 娘は体が痛いのか、腹が痛いのか、しきりに苦痛を訴えたが 爺さんは「わしの家に帰れば、妙薬があるからそんな腹痛なんかいっぺんに治ってしまうからもう少しの辛抱だからな、我慢しなさいよ」 「はい」 娘はか細い声で答えた。お爺さんは家までの道を飛ぶように馬とともに走った。 娘は、馬の背中から落とされまいと、背中にしっかりとしがみついている。 「痛い! お爺さん、どうか縄を緩めて下さいませ」 すると、着物の裾のあたりから、得体の知れない物が見え出したのだ それに、あれだけの美人であった顔の厚化粧も剥げてしまったのであった。 「婆あ 婆あ、今帰ったぞい・・・早うあの真っ赤な薬を持ってこい、早うせいや・・・」 「はい はい いまちょうど真っ赤になって焼き加減がようござるけんね」 お婆さんは、真っ赤に焼けた焼鍬を鉄炉から取り出した。 「娘さんや、いくらお前さんがきれいな着物を着ていても、このわしが見抜けんとでも思うたか!」 「お爺さん許してください・・・・」 「いんや、駄目だ。お前に騙されて何人もの者が迷惑したのだぞ、二度と悪行ができないようにしてやるから覚悟せいっ!」 お婆さんが持ってきた真っ赤になった焼鍬を勢いよくシチベ(臀部)にベッタリと押し付けた 「ギャッ ウォ~wwwwwwww」 その号泣は、忽ち周辺の山々、集落までに響き渡ったと。 娘はたちまち狐に姿を変えて、荒縄を食いちぎろうとしたがなかなか切れず馬が大暴れしたのでやっとのことで振り落とされて、近くの法勝寺川に飛び込んで冷やした後、傍の戸上山にメロメロとなって洞穴に辿り着いて以来、狐は二度と人前には現れなくなった。 その当時、その川を法勝寺川(ほっしょうじがわ)と呼んでいたのだが、この狐が飛び込んでからは、村人は「尻焼川」(シリヤケガワ)と呼ぶようになったという。 後年になって、可哀そうに思った地区民は藤内稲荷神社を建てたそうだ ーーーおしまいーーーー <尻焼川>地図左上 戸上山も見えます ※古書からコピーしました。 <法勝寺川>大正時代以降は尻焼川が法勝寺川と訂正されています <藤内稲荷神社>戸上山登山入り口 <米川頭首工>藤内さんの民話も簡単に付してあります 余談ながら 現在でも、地区の方(私も含めて)は尻焼川と呼んでいます。 <藤内さんとは?> 「お母さん、面白い話だがこの狐は戸上山に住んでいたから「戸上狐」と言わないの?」 「子供はそげな屁理屈を言うものではない! 聞きたかったら里のお爺さんから聞きなさい」 そんな会話が懐かしく思い出されてきました。 最後までお付き合いありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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