カテゴリ:歴史を語る
そちらで毎日暑いと思ったら、彼方では「どしゃ降り」と安定しない気候。
すでに季節は盂蘭盆会で明日からお休みの人も、、、 猛暑で鳥取砂丘は60℃、さぞかし「マバラ」と思いきやマスクしての観光客にびっくり!! ーーーーーーーーーー コロナ、広島、長崎原爆特集TV・・・歳月はアッという間ですね。 さて、今回は「地方史」について記したいと思います。 時は昭和2年、今から93年も昔の話です。 所は山陰の日本海 「美保関の遥かに沈む某重大海難事故」として当時報じられ後世まで「海の八甲田惨事」と恐れられた海軍事件が起こりました。 ※美保関事件とは 昭和2年8/24日 自国の連合艦隊63隻が台風接近中の美保関沖の日本海で無灯火の夜間練習に発生した衝突事故。 巡洋艦「神通」が駆逐艦「蕨(わらび)」と衝突し、後続の軽巡洋艦「那珂」と駆逐艦「葦(あし)」も衝突した。 蕨は船体が真っ二つに裂けて瞬く間に沈没!、葦は艦尾が切断大破、この2船の乗員110人が犠牲となった。 この無理な訓練の背景には、ワシントン海軍軍縮会議で、日本の主力艦艇の数が抑えられたため、小型艦による夜間奇襲戦で挽回を図ろうとしていた。---以上 日本海新聞よりーーーー ※この事件についての詳細は小生の楽天ブログで記していますので参考にしてください。 2008/1月/27日 ーーーーーーー あれから93年・・・・(生まれていません) 慰霊の会と建設コンサルタントで200m海底を5月後半に調査開始、海底にビームを発射を発射して障害物を探るマルチビームで©号指した結果、水深約100mに長細い楕円形な物体を探知したという。 その海の場所は美保関灯台(松江市美保関町)北東33.4度の海底。 ※旧鳥取県赤碕町 北方約22kmと推定します 私の計算です) ちょうど、区切りがいいので今夜はこれにて・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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