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数日間、このPCがIMEが不能となり、漢字変換が全く出来なくなって四苦八苦、、、復元ポイントを作成しておいたのにそれも、いつしか消えてしまって・・・・それに専念することもなくスマホ対応していたので、大変ご無礼しました。
我流で何とか回復しましたが、「旧VERのIMEにしますか?」というメッセージに「YES」したら、途端に回復しました。 なにがなんだかさっぱり分かりませんがとりあえず回復したので久しぶりにPCに向かっています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー コロナ禍のため何処にも出かけないでみすみすと「春を逃がした」ようですね。 1回目のワクチン接種が終わりました。(26日) 敢えて感想は書きません。普段の注射と同じで、その後1日ほど患部が凝ったようでしたが、もうなんともありません。 「良薬は口に苦し」・・・・古いかな(笑)なのだから何ともないなんて言うのは鈍感な人の所為なのかもしれません(失礼) ーーーーーーーーーーーーーーーー さて、話は2ケ月ほど前に遡ります。 4月早々、庭の剪定を行いました。3年振りでしょうか・・・・ 自宅の庭は私が物心がついた頃には殆ど現状と変わりません。但し母屋建て替え時の昭和43年に庭屋さんが「現況を少しいじらせてくれ」というので4,5個の四国石をクレーンで入れてくれました(注:築庭当時は付近の大石を人足、大八車で運び入れたものと思われます) 大きくなっていた樹木はどうもする気もなかったようです(当方からも、いじらないでくれと) <もっこく>樹齢150年以上我が家の最長寿、樹齢不明 ーーーーーーーーーーーーー あれから50年、大きな樹木も一段と大きくなり、大石と伴って前方の国道風景が遮られてしまい、近年になって4tの大石は撤去してもらったのです。 <撤去H29年> その数年前の頃からでしょうか、樹齢100数十年の「タライの木」が段々と弱ってきていたのですが10年ほどで殆ど朽ち果て立枯れてしまったのです。 ここで一枚の古ぼけた写真をご覧ください <昭和16年頃>家族、親戚 私はまだ生まれていない、たぶん昭和16年頃の撮影かと思われます。 今では写っている幼児(私の姉二人です)が存命しているだけで全てが故人となってしまっているのには「人生の年輪、はかなさを感じます) 左の樹が今回の「タライの樹」です。 この写真でもこの程度ですから、明治初期、徳川末期頃かもしれませんね。 年輪を見たのですが、切り口が白化して勘定することが困難でした。 ーーーーーーーーーーーーー <タライ>一番高い木(枯木)剪定後なので観難いですね。 庭屋さんに処分を依頼したのですが、あっけないですね。既に枝葉も無くなっていて乾燥していたのでレッカーで釣り上げながらチェンソー入れて5分! <作業中>上で引っ張り、倒木を防ぎます アッという間に2t車に積んでしまいこの木に別れを告げる暇もなく処分場に運んでいってくれました。 <終了>積んでみると流石に長寿の感がありました。 その他の剪定枝、葉くずの2台分は自宅畑で私が焼却処分いたしました。 <焼却> 時も乾燥時節、わが行政区では「水田畔雑草、庭木処分、雪害折竹焼却等」は条件付きで(立会、微風時、周囲に建造物のないこと)認められていますのでOKです。 ーーーーーーーーーーーーーーー さて、それにつけても徳川末~令和と長年にわたり我が家で育ち、其々の個人の行末を見守ってくれていたこの樹に思いを致す時に幼き頃の思い出が湧き出でてセンチメンタルになったのは仕方のないこと。それだけ自分も年輪を重ねた証拠なんですね。 ただ、残念なことは「別れの盃」をして送り出さなかったことです。 「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」誰かの有名な言葉ですね。 たとえ死んでも私の心には「蝉とり、木登り、消毒、かくれんぼ」等が残っています。 ーーーーーーーーー 何とかIMEは正常に働いているようで安心しています。 第二回接種は6/16です。 それまでに、全国とも終息に向かいつつあればいいのですけどね。 相手は変幻自在、七変化の強敵です。 皆さん、くれぐれも三密を避け外出の夜遊びは自粛しましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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