棟上げ今昔
大型台風の接近で嵐の前の静けさというかドンヨリとしていて蒸せるような湿度です台風8号の規模が50年に来るか来ないかの大型で日本列島が戦々恐々です。なにせ最大風速50m 瞬間最大風速が70mというのですから何でもかんでも吹っ飛んでしまいます当地と位置関係が随分隔たっているので予定通り棟上げを行いました。(昨日は大安だっただそうですね、少しも知りませんでした)母屋の棟上げなら延期もするのですが規模としては木造平屋瓦ぶき納屋4間半×4間の程度です。<作業前>※わが地方では関西間(京間)を使用しますので一間は六尺五寸(1,970mm)です、関東の一間は五尺八寸(1,757mm)ですね。どうしてこんなことになったのかは主題が外れますので・・・ 柱、桁、梁、筋違い等補強して屋根地もクロスを張りまでしておいたなら台風にも耐えうるとの判断です。今日の主役は職人さん5名、重機op1人の合計6人体制、縁起を担いで隅四方に塩まきしてでお祓い(神主不在です)していよいよ作業開始となりました-----------------------これ以降は「棟上げ今昔」として書きたいと思います。比較対象した古ぼけた写真が出てきますが自宅の母屋の棟上げでの様子です(昭和44年3月)重機(レッカー車)は本当に便りになる助っ人ですね、私は棟上げには近所、親戚等で10数回お手伝いに出かけましたが40年代後半頃から建築革命が起こりました重機の出現です。このおかげでどれだけ省力化、安全が保たれたか計り知れませんこの機械の出現で大勢の助っ人も不要となりロープ掛け(玉掛け)も資格者の仕事となり殆んどの人は地上での下手間となってしまってあの威勢のいい賑やかな掛け声も聞こえなくなりました。私は残念だと言っているのではありません、日本の長い歴史で高所での危険な肉体労働が開放された喜びはどれほど嬉しかったことやらそれまでは民家の棟上げは足場も組まずノーヘル・・・・今から思えば無謀ですね<足場なし、ノーヘル>ただこの時代の人はそれが棟上げの「常識」とばかり思っていたのです、そして事故もよく起こりました当然です<縁桁>杉又は松の丸太を両縁側の軒下に設置します重量物はみんな大勢で掛け声かけて「ヨイショ、ヨイショ」と三又組んで引き揚げました頭上では梁の上に登って掛矢を振り上げてホゾ穴目をめがけて叩き込む職人さん、みんなみんなの顔が引き締まっていたのをハッキリと思い浮かびます※この方はメンヨウさんと云ってとび職さんです(3人を頼みました)誰でも出来る業ではありません-----------------------さて、お昼頃には殆んど骨格が出来上がってしまいました<垂木打ち><重機が>部材を吊り上げ少しずつ下ろしその分だけ両側で叩き込みます<屋根板敷き>現在はコンプレッサーで釘打ちです(5人力?)予定通り屋根のクロスを敷いて降雨でも安全となりました。台風接近で南風が入って米子で34℃を記録しました、職人さんは本当にお疲れさんでした。・昔ならこれからお祝いをしたものですがこれは廃れてしまったようですね残念です------------------------------------<完成>翌日の風景です(昭和44年3月)遠く見えるのは屋敷内のエノミの木みんな若かった、よく働きよく飲んだ、小生は20代前半怖いものはなかったあれから40数年(キミマロ調で)屋根、壁面が痛んできました、わがやの建物にはいつも泣かされる人生です