カテゴリ:カタカナ言葉にもの申す
某大学では、乗馬やゴルフを必修にした「社長育成」の専門コースを商学部に設置したそうです。
必修ですよ必修。親も大変ですね。 こんばんは、ひろぴょんです。 日記のカテゴリーに「カタカナ言葉にもの申す」というのを追加しました。 ちょっと前に「エンハンスメント」なんてのを取り上げたときにやってれば良かったんですがね。 そんなことは忘れて第一回目ということで今日は、 「プロダクト・プレイスメント」 に、もの申すです。 「プロダクト・プレイスメント」とは、独立したCMとして流さないで自社の製品やサービスを、 番組 や映画の中に露出させる宣伝手法です。 たとえば、ドラマの中で主人公が缶ビールを飲んでいるとします。 そのシーンでカメラが主人公の手元をアップし、飲んでいる缶ビールの銘柄がハッキリと判ることによって、購買意識を植え付けようとする等の手法です。 この手法がテレビで結構増えてきてるんですよね。 たいていの人は、録画したテレビ番組を見るときにCMの部分は早送りとかスキップしてしまいますよね。CMカット機能のついたレコーダーをお持ちなら最初からCMを見なくてすみますし。 それじゃメーカーは困ると言うわけで生み出された方法なんですが、どうもいまだに好きになれません。 映画だとね、まぁいいかなと思うときもあるんですよ。 マトリックスでみんなが同じようなサングラスをかけていても不自然さを感じませんし、トムクルーズが地下街を歩いているシーンで壁に一杯同じ商品のポスターが貼ってあっても違和感はありません。 でもね、日本のテレビではまだ早すぎると思うんですよねぇ。 一回限りの映画だとか、アメリカのテレビ番組のようにスポンサーが同じ番組でもコロコロ変わるような分だといいんですよ。 日本のテレビって一つの番組には数社あるにしても毎回同じスポンサーじゃないですか。 さっき言った缶ビールのメーカーがついてるなら毎回同じようなシーンを見さされるはめになっちゃうわけですよ。 極端な話、葬儀屋さんがスポンサーなら毎回葬式の場面を出さないといけないかもしれないですよ。 CMも時代の流れの中で手法的には試行錯誤を重ねなければいけないのは判るんですが、 オイラとしては今のCM形態を無くさないで欲しいですね。 CMは時代の鏡ですよ。 たまにかなり前に録画した番組を見たときに、嗚呼こんなCMをやってたな、世の中はこうだったなと思い起こさせてくれるのが良いんですよ。 メーカーさんの立場に立てば仕方が無いことなのだろうけど CMのための番組はやめて欲しい。 自然な流れのある番組作りを目指して欲しいね。 なんでもかんでもアメリカさんを真似しなくてもねぇ。 まぁ、サブリミナルされるよりましかな。 では、御免蒙る! サザエさんの冒頭の各地の観光名所を紹介するシーンは、○○○万円で契約している。という噂だけど、これもプロダクト・プレイスメントの一種だよね。 でも、こんな感じでやってくれれば違和感はさほど無いかなぁ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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