カテゴリ:雑感
秋葉原の連続殺傷事件は久しぶりに吐き気を感じた事件だった。 しかしなぜか犯人に嫌悪感は抱かなかった。 不思議だ。哀れみのほうを強く感じて、いつものような憎悪感も無い。 事件以来、メディアではいろんな評論家がいろんな解説や分析をしている。 どれも納得がいくようでいかない。 教育の問題、家族の問題、仕事への不満、環境、政治・・・ 確かにいろんな問題が積み重なって起こった事件かもしれない。 25歳の若さで人生がイヤになり生きていくのがイヤになった? だから誰でもいいから人を殺してみたくなったという精神構造はどうやったら出来上がるのだろう。 彼と同じような環境で精神的にストレスを感じている20代の若者は一杯いる。 と、するとこのような事件を起こす人間になるかならないかの分岐点は一体どこに見出せるのか。 評論家の中には親の育て方に要因があったという人もいた。 二十歳を越えた子供の行動に親が責任をとらねばいけないというのも変な話だ。 記者会見で詫びられていたご両親はともに50代。 ちょうど年代的にも私と娘との関係に似ている。 私自身はけっして良い父親ではなかった。 夫婦喧嘩もよく娘の前でやったし、金銭面で結構辛い思いもさせてきた。 娘が泣いて家を飛び出したこともあった。 何があったか判らないが、髪の毛をハサミでグチャグチャに切っていたこともある。 それでもなんとか今は人様に迷惑をかけず一人前の女性としてやっている。 そうすると理性とか自己抑制力の問題になるのだろうか? それとも持って生まれた本能の違い? まさか、乱れた人間社会に神?が警鐘を鳴らすために彼を使わした? まぁ、彼の起こした事件のおかげで銃刀法やいろんな法律が見直され、教育や政治が良くなればそれにこしたことはないのだが。 いずれにしても結論が導き出せない事件である。 亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。合掌。 では、御免蒙る! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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