前略、松任谷由美さま
僕が初めて貴女の唄を聴いたのは17歳の夏でした。その頃はもう荒井由実としてすでに活躍されてみえましたから、ラジオから流れる貴女の唄を知らず知らず耳にしていたことはあったと思います。高校時代の僕はお小遣いとお年玉に学校に内緒でしたアルバイト代を足して買ったアリアのアコースティックギターが宝物のギター大好き小僧で、そして同じくギター大好き小僧のY君とJ君と事ある毎に集まってはギターを弾き、唄を唄いました。好んで演っていた音楽は「風」や「かぐや姫」でしたが残念な事に我ら三人はあまり唄が上手ではなく文化祭などでも他の人の演奏のお手伝いでしか人前で演奏する機会はありませんでした。その頃カセットテープに吹きこんだ自分の唄が今でもトラウマで忘年会の二次会で乞われてもカラオケで唄うのは固辞してしまいます(笑)そんなこんなで僕ら3人は必然的にインストバンドへ方向転換してブルースやフュージョンを愛するギターオタクに変わって行きました。そんな夏のある日の事、ふとしたことから同じ高校の同じ学年に荒井由美のコピーをやっているバンドが居る事を知りました。そして、その女性ばかりのバンドの中に共通の友達を持つS子が居ていつしか男子3人女子4人の音楽仲間が誕生しました。当然、彼女たちから貴女の素晴らしさについてとうとうと語られましたがイマイチ貴女の魅力に気づくことなくただ彼女たちに話を合わせるためにすすめられたレコードをカセットテープに録音して聴いたものです。しかし我ら7人は一緒にステージに立つ機会もなくグループ交際のような不思議な関係が卒業まで続きました。その後も貴女の音楽は何となく気になり聴き続けていましたが二十歳過ぎてからはドライブのBGM、とくにスキー場に向かう車の中ではマストアイテムとなりました、そう云えば一時機は冬が来る前にアルバムをリリースしていましたね。そんな貴女の唄との関わりはいつしかラジオやTVで聴く程度に変わっていきました。そして、ある年の正月に一枚の年賀状が届きました、卒業してから一度も会った事のなかったC子が「施設に入所することになった」と・・・卒業後も比較的連絡を取り合っていた女子2人と見舞いに行ったところ彼女は治療が困難な難病に罹っていて今は元気だけどそのうち歩けなくなり喋れなくなり死んで行くのを待つだけだと・・・ずいぶん前にあの沢尻エリカさまが主演した「1リットルの涙」ってご存知ですか?あの病気です。しかし、ここから大きく歯車が回り始めました。「ここは何も楽しみの無い所なの、毎日朝が来て夜が来るだけ。 あなたたちがもう一回バンドを組んでここで演ってくれないかしら?」僕らは昔の仲間に連絡を取り、新たに2人のメンバーを加えて慰問バンドが誕生しました。僕は階段下の物置スペースにホコリをかぶったままのギターケースを取り出し弦を張り替え、柔らかくなってしまった左手の指先のリハビリと忘れてしまったギターコードの復習をし、エレキベースを購入し練習をしました。そして年2回のペースで毎回12曲ほどの演奏をしましたが何せ遠くは千葉、奈良から前日に施設入りし地獄の様なリハ合宿、当日朝もリハ!リハ!リハ!でもって14時から一時間のステージですから大した演奏は出来るはずもなく・・・もちろん貴女の曲はたくさん演奏しています。「赤いスイトピー」「あの日に帰りたい」「恋人がサンタクロース」「卒業写真」「何もきかないで」「春よ来い」「瞳を閉じて」「埠頭を渡る風」「やさしさに包まれたなら」「私のフランソワーズ」などなど・・・大人になって改めて荒井由実時代の曲を聴くと彼女たちが伝えたかった事が分かるような気がします、やっぱり女のほうが精神的な成長が早いって事でしょうね(笑)残念ながらC子は空に昇っていきましたが残された8人に思い出を作ってくれた事に感謝してます。僕は今、他のメンバーと音楽活動をしていますがC子が居なければそれも無かったのかも?僕の大切な彼女、彼たちとの間にはいつも貴女の唄がありました。これからもご活躍をお祈りしております。今からすごく久しぶりに「ひこうき雲」を聴こうと思います。C子の事を偲んで・・・