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テーマ:ひとりごと(15362)
カテゴリ:人生論
私は学生時代、家庭教師生活にすごく恵まれていた。 庶民派から、セレブ家庭までハチャメチャに教えた。 全盛期は週に5軒、6軒を掛け持ちした。ダブルへッターもよくやった。
だから今でも人に教えるのは苦にならない。
小学校3年生から高校3年生まですべての学年を教えた。 就職したときに実質収入は大幅に減った。家庭教師は割がよかったのだ。
なぜか次から次にすごい超裕福なご家庭が舞い込んできた。 白金の豪邸のおぼっちゃまも5年間教えた。 大学1年のとき、女子高校生も結構教えた。
山村学園、普連土学園、学習院女子の下からの女子高校生。 これには参った。ピンク色の女の子の部屋で2時間半。
ただひたすら教えているときはよいが、休憩時間が苦手だった。 話題と目のやり場に困った。
バレンタインデーに手作りケーキや、手作りチョコをもらったこともあった。 こういうときは本当に困った。教え子とどう接すればよいか。ただ赤面した。 そんな純情な時代もあったのだ。
麻布十番のお宅でも教えた。慶應の普通部の生徒だった。 あとで知ったのだがビケンズと小糸製作所の仕手戦で名を馳せた麻布自動車 渡辺社長の御曹司だった。
成城学園の豪邸は、慶應医学部の教授のお嬢さんだった。 ここの奥様は素敵だった。白川由美ばりの上品な奥様だった。 僕は子供より奥様と話すのが楽しみでいつもドキドキしていた。
柿の木坂の豪邸でもお嬢様を教えた。 下から山村学園に通っている女子高校生だった。いいこだったが勉強は しなかった。英語を教えていたが、教え方がよすぎたのか結局アメリカに留学した?
目黒では水戸徳川本家の第二十何代目かの御曹司を教えていた。徳川君だ。 ここもすごかった。お箸や塗りのお椀にそれぞれのマークが入っていた。 例えばお子さんは鶴など・・・。
極めつけは田園調布の御曹司だった。 科目別に家庭教師をつけた。私は算数。あとの教科はすべて現役の先生。 このガキには負けた。話があわなかった。
軽井沢から車で帰ってきて教えたときがあった。
「先生、軽井沢から何時間かかった?」 当時の軽井沢はほんの一部しか高速がない。夏は碓氷峠が大渋滞である。 私は裏道を熟知していた。しかも飛ばした。 「そうだな、5時間をきったかな」 「ええぇ、そんなに先生かかったの」 「じゃあ、君は何時間で軽井沢にいつも行くの?」 「大体1時間はかからないよ」
半端じゃない家だった。 屋上にヘリポートがあった。いつも軽井沢はヘリコプターを利用していた。 もっとおったまげたのは、一階の洋間の広さである。 「先生、このボタン押してみて・・・・」 「どれどれ・・・・・・ああああ・・・・」
なんと下から畳の日本間がせりあがってきた。
なんだこの大邸宅は。庭は軽井沢を模した白樺林だった。 この子の父親は、日本ミネチアベアリングの高橋高見社長であった。
私は学生時代、普通は知りえない家庭事情を知りうることができた。 家庭の幸せは必ずしも裕福と関係ないことも学んだ。 いろいろな家庭からさまざまな人生勉強をした。
学生家庭教師のいい加減さも知っていた。
だからわが子に家庭教師はつけなかった。 すべて理系は私がみた。
ただひとつ分かった。 お金をいただく他人のご家庭の家庭教師の時ははあんなに優しく教えられたのに、 わが子には、いつもイライラした。うーん、身内はむずかしいものだ。 お互いに甘えが出るのだ。感情をおさえなけば・・・・。
いやー、本当に家庭教師はいろいろなことを学べる。
そんなかんなで今は大学生相手の寺子屋塾の塾長をしている。
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