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2010年04月29日
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京都国立博物館で開催中の没後400年 特別展覧会 長谷川等伯を見てきました。


水墨画の最高峰「松林図屏風」、金碧障壁画の至宝「楓図壁貼付」を描き、豊臣秀吉・千利休を魅了した絵師、長谷川等伯(1539~1610)。
能登七尾(石川県)に生まれた等伯は、はじめ「信春」と名乗り、主に仏画を描いて活動していましたが、30代という決して若くはない年齢で、京都に新たな活躍の場をもとめて上洛しました。時はまさに、信長や秀吉が覇を争い、豪壮華麗な芸術が爆発的に発展した絵画の黄金期“桃山”。その時流の中で等伯は、肖像画、金碧障壁画、水墨画などを、ときに精緻にときに豪放に描きわけ、非凡な才能を開花させていきました。やがて狩野永徳率いるトップ絵師集団の最大のライバルとなり、時代の牽引者へとのぼりつめます。そんな彼の生き様は、ジャパニーズ・ドリームそのものといえましょう。
2010年は、ちょうど等伯没後400年にあたります。この記念すべき年に、国宝3件、重要文化財30件をふくむ等伯の代表作のほぼすべてを公開する、史上最大規模の大回顧展を開催します。
天下を夢みて“桃山”を駆けのぼった絵師の伝説が、今、ここ京都ではじまります。


長谷川等伯の絵をこれだけまとまってみるのは初めてでした。
知らなかったんだけど、等伯って、個性の強い人だったんですねー。
これ↓↓もすごいエピソードだよね。


一世一代の大博打『山水図襖』
同じ年、等伯はこの大徳寺でもうひとつの絵『山水図襖(さんすいずふすま)』を描いています。この襖絵は大徳寺の塔頭のひとつ、三玄院の襖に描かれたものですが、これには等伯の意気込みをうかがわせる物語が伝えられています。
等伯はかねてから三玄院の住職春屋宗園に襖絵を描きたいと願っていました。しかし住職は「ここは修行の場だから絵はいらない」と取り付く島も無し。それでも諦め切れない等伯は、ある日住職が留守の間に院を訪ね、何と勝手に上がりこんでそのまま襖に絵を描きだしてしまったのです。


勝手にあがりこんだって・・・びっくり

世の中には、エネルギーの強い人というのがいると思うんだけど。
長谷川等伯もその一人で、きっと、並外れたエネルギーを内に抱えていたんだろうなー。

↑上記のウェブサイトで読める、彼の生涯のエピソードって、どれも強烈。
それにしても、彼の行動は、自分の筆に自信がなければ絶対にできないものばかり。
多分、自分の技術に絶対の自信があったんだろうねー。
自分の持つ技術への絶対の自信と、内に持つ激しいエネルギー、そして野心。
72歳で没するまで、よくぞ、そのすべてが尽きなかったものだと感心する。
400年を経てもなお、絵の筆致から、生命力がにじみ出てくるようで、堪能しました。

中でも一番圧巻だったのは、やっぱり、「 仏涅槃図」。これだけでも、見に行く価値あると思う。
あとは、実物は見られなかったけど、大徳寺三門の天井画も、印象的だったなー。





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Last updated  2010年05月01日 01時10分10秒
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