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本当なら、このブログ唯一の機能だった、昨年の反省と今年の目標なんかを、具体的に書くところなのですが・・・、今年はちょっとそういう気持ちになれないのです。
それというのも、昨年から、ちょっと五里霧中にいるから。 修士課程に入れてもらってから4年、思いもかけずラオスに縁を得て、それなりに、ラオスのことや学問世界のことを知るようになって、その結果、昨年は見事にドツボにはまりました。ドツボというのは、いったい何に向かってがんばるべきなのか、ちょとよくわからなくなってしまったわけです。 ラオスの村なんて、どんな辺鄙な世界の果てかと思いきや(いや、辺鄙な場所ではあるんだけど)世界の変化がこれほど生々しく現れる場所ってはじめてだったのです。燃料価格の高騰とか、資源争奪戦とか、世界政治のパワーシフトとか、日本でニュースを見ていた時、私は、そういうのみんな対岸の火事くらいにしか感じていなかったんだってことを思い知らされました。 砂漠が今の倍に広がり、森や川が今の半分になって、人口がこのまま増え続けても、私たちみんな今より豊かで幸せになるよって言って、そんな人間の未来像を、説得力のある裏付とともに見せてくれる人がいたらいいのに・・・とか考えてしまう。 巷でよく聞くグローバリゼーションって、文化変容よりもなによりもまず、生活基盤が変化することだったんだだなあってわかって。生活基盤が揺らいだら、それまでの暮らしをそのまま続けていくことなどできないので、望むと望まざるに関わらず、新しい何かに賭けて変化の海に飛び込んでいかざるをえない。その結果、物質的に豊かになる人もいれば、貧しくなる人もいる。そして、貧しくなっても、帰ることのできる村はもうなくなっていたり…。 だから、いくらのほほんと育った私でも、みんなで一緒に幸せになるのは無理なんだろうってことはわかる。しかも、そういう変化は世界中で起きていて、別に珍しいことでもなんでもないらしい。人間の未来ってどこへ行くんだろう。私にはわからない。しかも、誰が悪者ってわけでもないんだよね。誰もがみんな、大切な家族のために、あるいは向上心を持って、一生懸命生きているだけなんだもの。それをどうして責めることができる?私だって、生きていくために、自分の研究を売れる商品に変えて、この世界で売らなくちゃいけない。 葛藤と無力感を感じるけれど、そんなもの見せたって何にもならないこともわかる。甘いこと言っているのかもしれないけれど、ここでひとりごとをつぶやくくらいは許されるかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011年01月05日 01時02分34秒
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