ロバの耳ブログ
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今日は、「モック」というボーダーの織り方と、「ナム・ライ」模様をちょびっと教わりました。私の入れるボーダーは「ホック・モック」。要は、6本の木っていうこと。ベースの経糸に、別糸を重ね、その別糸を両端から2本ずつ6本の木に結びつけて、模様のパターンに従って浮かせたい部分の糸が縛ってあるモックを手で持ち上げて鉤にひっかけて織るというもの。「ナム・ライ」は、緯糸を梭で打ち込むのではなく、模様の部分に手で糸を入れて織ります。模様の形は、自分で本数を数えて経糸2本分ずつ糸を入れる場所をずらして(「パイ・ソーン」)織ってつくるという、かなり大変な作業であることが判明。「モック」といい「ナム・ライ」といい、ラオスの織物は、別糸を入れて織るのが特徴みたいです。しかも、固定した仕掛けを作って量産するのではなく、手作業で融通無碍に織る織物なんだなあと思ってみたり。
2007年08月28日
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今日は、P工房での、ワークショップの初日。私が、すべての工程をいちおう体験したいと言ったので、まずはデザインするところからはじめました。で、デザインを決め、浮織部分は織組織を書き起こし(これが一番大変だった)、大柄やナムライ模様は絵を描き、絣(マットミー)は絞る箇所を絵に描いて、とやっていたら一日終わりました。途中、なんと同郷の日本人の来客があり、これまた驚き。すでに、ここと10年以上のつきあいがあり、来月頭にはP工房の作品の展示&販売をやるんだって。しかも、そのイベントもすでに4回目だとか。こういう関係を続けられるっていいなあって本当にそう思いました。
2007年08月27日
昨日、帰りが遅く、寝るのが遅くなっため、今日は昼まで睡懶覚。部屋をシェアしてる(っていうか、ダブルベッドを分かち合ってる)方さんも今日は仕事が休みなので、やっぱり昼まで寝てました(汗)。でも、そうすると、なかなかやる気がでないのね。特に予定はなくても、工房に飛び込みで行って話をきくとか、市場をうろつくとか、いろいろすることはあるんだけど、私は、自分に相当ハッパをかけないと、飛び込み取材(?)とか得意じゃないし(誰でもそう??)、にこやかに「サバイディー」を言うのも、それなりの努力がいることもあったりするのねー。今日は、それでも、夕方、以前に一度顔を出したとある店に行って、オーナーと顔をあわせることができました。なのに、彼女が「今は忙しいから15分待って」というので、いったん店を出て、20分後くらいにもどったら、オーナーはもうどこかへ出かけていなかったという。やはり、店で待っているべきだったのね・・・。反省。この反省を生かし、明日は、がんばって工房をいくつかまわろう。うん。
2007年08月25日
今日は、ラオス在住で布のことに詳しい人からいろいろ話をききました。やっぱり、自分でいろいろやってきた人だけあって、悩んだり迷ったりはそりゃああるだろうけれど、自分はこうするんだっていう意思みたいのが芯にあって、話してても面白いし、安心するし、すごいなあって思いました。突然来た私にいろいろこうやってアドバイスくれたりとか、オープンマインドで親切だから、顔も広いんだろうなー。話をきいて、やっぱりタラート・サオは外せないな、とか、バンビエンにも行かなくちゃ、と思いました。今度2月に来る時は、きっと、北に南に旅をするぞー。調査のためにはただ行けばいいっていうものじゃあないだろうけれど、直接何かに結びつかなくても、行けばわかる、行かなければわからないこともたくさんあると思う。話をしていたら、思わず時間を忘れ、10時頃かしらと思いきや、もう12時過!貸してもらった自転車でホテルに帰りましたが、正直、かなり怖かったです。人がいてもいなくても怖い。同じタイ語教室の男の子が、夜、タートルアンの周辺を自転車でうろうろしていて引ったくりにあった(※そのあたりは引ったくりが多いところらしいです)と言っていたけれど、それはうろうろしてた方にも責任あるなーと、夜、自転車で街を走りながら思いました。なんといっても安全第一ですよー。
2007年08月24日
部屋をシェアしている方さんは、昨日、夜遅く、いやに疲れた様子で帰ってきました。「イ尓有自由、真羨望」と言って、ため息。会社から派遣されて、ここで援助活動をしている彼女は、ラオスに来てからの一週間でかなりいろいろストレスをためているらしく、ベッドに入ると、同僚の中国人との気の合わなさや仕事のストレスに爆発。中国人って本当に打算的!って怒ってた。・・・とはいえ、中国語で話をしているから、正直8割も内容がわかっているかどうか。こっちに来てから、調査は英語、日本人とは日本語、部屋では中国語、街ではラオス語風味のタイ語をしゃべっているので、もうわけがわからなくなることも。今日も、部屋に掃除に来たラオス人に「打掃ma?」とか思わず言ってしまった。通じてたみたいだけど。今、こうして、ラオスで織物の調査や勉強ができてることに感謝。そんな一日でした。
2007年08月23日
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今日は、テキスタイルミュージアムを持っている、工房Kに話をききに行きました。前回もそうだったけれど、今回も、とってもよくしてくれました。でも、私が、ラオス語を勉強しているよーと言ったら、ずーっとラオス語で話すことになってしまいました・・・。ここでは英語も通じるけれど、大きなストレスを感じず英語を話す人は少数派。たとえ、相手のラオス語・タイ語が私のようにヘタくそでもちょっとでも通じるとわかれば、ラオス語で話はじめるのね。それで、染料についても少し教えてもらいました。ラックについてきいたら、ラックは付いた木によって色が違うんだよって教えてくれた。それに、虫の年によっても色が変わるらしく、きれいな赤の出るラックは、デーン・カイ(カイ・デーンだったか??)と言って特別らしい。ラックならみんな赤色になるのかと勝手に思っていた私にはかなりの驚きでした。よく考えてみれば、染料になる虫はコチニールにしても五倍子にしても、虫と木のペアなんだから、言われてみれば当然なんだけど、思い至らなかったなー。今回は3箇所の工房で染色を習う予定で、時間もお金ももう足りないから、工房Kでは染色体験をしない予定。でも、次の機会があれば、少ししてみたいかも??
ビザクリアのため、ノンカーイへ。まだ日数はあるのだけれど、タイで両替したい&今後、平日は忙しくなることを考えて、今日早めに、最初のビザクリアに行くことにしました。ノンカーイ行きの国際バスには10:30に出るものもあるときいていたのだけれど、時間が変わったのか、9:30の次は12:40しかなく、10:00過ぎにバスターミナルに行った私は、要領の悪い人でした。昨日もタラート・サオに行ったんだから、時刻調べとけばよかった・・・。空き時間に、初めて携帯料金のレフィル@3万kipを買い、料金をリチャージしました。<わかってさえいれば、やり方は簡単なのねー。ヒマしている店員のお兄ちゃんに、早口のラオス語で話しかけられ、言ってること全然ワカラナイ。うーん、今回は、ラオスでの話しかけられ率が、前回の数倍です。なんで?髪型のせい?ノンカーイでは、バスターミナル付近のバンコク銀行で、日本円の現金を両替しました。多分、例のニセ札騒動のせいかなーと思うんですが、いろいろやたらと厳重でした。パスポートのコピーだけではなく、お札のコピーまでとられ、それぞれにサインさせられました。日本で銀行から下ろしてきたお金だし、大丈夫のハズなんだけど、こう厳しくやられると不安になるよね・・・。窓口のお兄ちゃんは、とってもにこやかで感じのいい人でしたが・・・。ちなみに、今日のレートは1円=0.2955B。円安が収まって助かりました・・・。帰りのバスでは、ラオス人のお兄ちゃんと隣の席になり、ラオス語を教えてもらいました。んで、お決まりの携帯番号の交換。こっちでは、ホント気軽に携帯番号を交換するみたい。まだ一週間にもならないのに、もうすでに、20人近い人の番号をきいたよー。バスには、日本語を勉強しているという大学生の女の子や、恋人(!?)が日本にいるというおじさんなどがいて、まあ、タイクツしない。ボーダー通過はまったく問題なしでした。ラオス再入国の時など、「サバイディー」と挨拶したら、管理官のおじさんがいろいろ話かけてきて、「恋人いるの?」などと聞いてくる始末。今日は、工房のギャラリーを2つ回って、話をききまた来るねー、と言ってこれたし、なかなかいい日だったなぁ。うん。
2007年08月22日
結局、例の中国人の子と部屋をシェアすることにしました。一人の気楽な生活も今日が最後ねー。とりあえず、8.23 工房Kでインタビュー8.27-9.8 工房Pでワークショップ&インタビュー9.10-9.20 工房Tでホームステイ&染色と染料について調査&インタビュー---この間にルアンパバンに行けるといいなー。??-10.13 H職業訓練センターに滞在&ワークショップ&インタビュー他にも、ラオス国立大に行くとか、他の工房を訪ねるとか、いろいろしたいことがあるんだけど、なかなかできなさそう。。。そして、さすがにビジネスで成功してるだけあって、お金はけっこうかかるのね。ひとつ確実なこと、それは、中国語がうまくなるだろうということです。
2007年08月20日
今日の午後は、先日鉄道で知り合った中国人たちとプー・カオ国立公園へ滝を見に行きました。郊外は緑がいっぱいで、国立公園付近には焼畑とおぼしき跡も発見!!ラオスの田舎いいなあ・・・。なのに、なんで私は、2ヶ月もラオスにいながらビエンチャンから離れられないのか。ホント、ビエンチャンに帰りたくなくなりました。しかーし、ラオスに来て中国人とばかり遊んでいる私って一体・・・。彼らにも、「ラオスに来ているのに中国語ばっかり上手くなちゃうねー、ハハハ」って言われました。夕食もご馳走してくれて、「これも「縁分」」と言う、気のいい中国人たちでした。写真をアップしたかったのですが、ネットの速度が遅すぎ&不安定過ぎてムリでした・・・。そのうちアップするかも?
2007年08月19日
ラオスでも携帯を使えるようにすべく、ラオスSIM購入のためにタラート・サオへ。SIMカードはすぐに見つかるも、いまひとつGMS携帯の制度を理解していない私は、つたないタイ語混じりのラオス語で、店員の女の子にいろいろきいて、やっと制度を理解しました。買ったSIMカードは、ETLのもので、スタート時点で30000kip(現在1円=78kip)分の料金がついてるみたい。それがなくなったら、街中の「ETL」というマークを下げている店で必要料金分のスクラッチカードを買って、スクラッチ部分を削るとそこに番号が書いてあるから、それを打ち込んで通話料金を補充するらしい。なるほどー。この店の店員の女の子に、英語はなせる?ってきいたら、話せないって言われちゃったよ。やっぱ、携帯ショップにはラオス語の話せない外国人は来ないんだなー。
2007年08月17日
前日に購入しておいたチケットを持ってフアランポーンへ。エアコン無しでも、窓を開ければ夜は涼しすぎるくらい。寝台は上段と下段とあるけど、窓があるのは下のみ。発車してしばらくすると、乗務員がまわってきて、向かい合った座席状態の下段をベッドしにしてくれます。下段の難点は、真ん中が少しへこむので、腰に悪いこと。腰の悪い人は上段をおすすめします。あと、今回は、朝食(150B)を注文してみたけれど、この料金のなのに量は少ないし、味もイマイチ・・・。外で食べれば高くて30Bの内容。おすすめしません。列車は遅れて少し発車し、予定より1時間強遅れてノンカーイに到着。隣の寝台の下段には、雲南出身で、ラオスで「鉱業」をしているという中国人が乗ってました。3年前にラオスに来たらしい。今回は旅行で南部へ遊びに行った帰りらしい。そして、同じビエンチャンに行くとわかると、ノンカーイの駅から国境を通りぬけ(料金払ってくれたし(汗))、ラオス側国境に彼を迎えにきていた車に乗せて、宿の近くまで送ってくれました。中国語ができてよかった。
2007年08月16日
バンコクのMBK(マーブクローン)で携帯を購入。うわさどおり、フロアところ狭しと並ぶ店舗の中から、どこを選ぶかなんて、一見の客である私には無理。というわけで、声をかけてきた店で買うことにしてフロアをぐるぐるまわり、最初に声をかけてきたおばちゃんの店から買いました。話せればいいやっていう中古携帯の安いのは1000Bからあったけれど(某auが海外向け携帯として1万円で売ってるやつ)、結局、アメリカ大陸でも使えるNOKIAの携帯の中古品を2700Bで買いました。<SIM代の200B分だけまけてくれた。<ちょうど日本を発つ日から、運良く、あのものすごい円安が収束して円高になったので、とっても助かりました。いや、ホント。MBKは、どのフロアも店がぎっしり入っていて、楽しいところでした。長居すると、無意味に買い物をしてしまうところね・・・。バックパックも、800~900Bくらいで売っていたので、今度来た時はここで買っていこうかなー。
上海からバンコクへ向かう飛行機の中で、隣に座ったのは、なんと、私と同じく2ヶ月間、ビエンチャンに滞在するという杭州在住の中国人女性でした。彼女いわく、私はどこからみても中国人なんだそうだ。しかも、私の中国語は「南方人的口音」があるってさー。why?はじめて飛行機に乗り、はじめて海外に行くらしい。彼女はエンジニアで、ビエンチャンで配線工事の援助をするんだって。人見知りをせず無邪気にみんなに話しかけていて、いい意味で、さすが中国人だなあと思いました。バンコクで1時間しか乗り継ぎ時間がない彼女は、バンコクに着くと、ダッシュで乗り換えカウンターへ走っていきました。追記:はたして、彼女とは、ビエンチャンで再会。彼女があてがわれた部屋は某ホテルのアパートみたいな作りの部屋。寝室と居間の他、洗濯機やテレビ、空調やネット設備(別途有料らしい)がついて一日10$。部屋代は給料から自分で払うみたいで、1人で使うには広すぎるし高いから、誰かとシェアしたいと言って、ここへ来なよと誘われました。気になるのは、トイレの水の流れがちょっとよくないこと。キッチンがあるのは嬉しいけど、調味料なんかみんな買ってこないとだしなあ・・・。うーん。
2007年08月15日
はっきりいって、大変でした。なんで、国際線のトランジットが、入国手続→搭乗手続→出国手続、という手順なのだ~~。ここって新しい空港なんでしょ?国際線トランジット専用の通路と待合室くらい作ってよ~~。わかりにくさ百倍だし、手間かかりすぎ。トランジットなんだから、検疫調査用紙に連絡先が書いてないことくらい見逃してよ~。出国の税関申告にしたって、さっき入国したばっかりで申告するモノがあるはずないし。だいたい、トランジットの客も他の客に混じって出入国手続しなくちゃいけない空港なんてはじめてだよー。そして、深夜発の帰りの便の時もまたこの逆をやるわけね・・・。ふう。思えば、香港やシンガポールでの国際線トランジットは快適だったなあ(遠い目)。今回買った中国東方航空の航空券はマイレージもつかないクラスQでがっかりだし、もう今後、わざわざ関空出発にしてまで、上海乗継の便はできることなら使いたくない・・・。<でもお金がないと、選ぶ権利もあんまりなかったりするんだけどね。とほほ。そんなわけで、なんと今回は、ラオスに行くために、中国を出入国し、タイを出入国して、やっとたどりつくのであーる。ラオスに入ったら入ったで、二週間ごとにタイの土を踏んで帰ってくる生活になるし。ラオスへ行くと、パスポートのページは、こうして消費されていくんだなあ。追記:この後、バンコク行きの飛行機で、顧客満足度アンケートを頼まれたんだけど、そこで、サービスの点数を60点(やや不満)につけたら、客室乗務員がぞろぞろきて、100点のところに付け直せと迫ってきたよ(*_*;。さすが中国東方航空・・・。
またまたラオスへ行きます!修士課程のテーマはラオスの染織産業と決めたので、これからはラオスと日本の往復生活になるはず。ラオス語もまだあんまりできないんですが・・・。このブログは、「ここは、染色と着物そして語学が好きなひるねこのページです。」って言ってて、タイトルは『色と染色と語学の日々』になってるんですが、これって看板に偽りありじゃない?まあ、しょっちゅう更新のとまるなんちゃってブログだから、これでいいのかもしれないけど、なんだかなー。というわけで、今、新しいタイトルを考え中です。今回のラオス滞在は2ヶ月の予定。今まで、海外滞在最長記録は1ヶ月だから、一気に期間が倍。それで、ついつい、UVカット用品と基礎化粧品を詰め込みすぎて、トランクが24キロオーバーに。調査用の手土産も、日持ちするものを探した結果、えびせんべいになったので、これがかさばるかさばる。その上、割れたら何にもならないからとトランクに詰められず、機内持ち込みにするはめに。もうこの際、トランクに詰め込んだ登山用のでかいバックパック用ザックをあきらめて出してせんべいを詰めて、どでかいトランクを引くかたわら、かついで行くべきかしら。。。悩ましいなあ・・・
2007年08月14日
やーっっと、5月に行われたHSKの結果が到着しました。結果は、8級取得。わーい。得点は、聴力:80、語法:84、閲読:90、綜合:88。ちなみに、昨年5月受験時は6級(聴力:61、語法:72、閲読:93、綜合:70)でした。聴力だけが、7級レベル。中検2級の聴力は90点だったんだけどなあ。あと、閲読で点を落としているのが解せない・・・。そう、留学しなくても、年月かければ、HSK8級は取得可能なんですよー。最近、研究計画書とか、英語論文を読んだりとか、タイ語とかに忙殺されて、正直、中国語は勉強できてないんだけれど、この成果を励みに、またがんばろうって思いました。ページも模様替えしたし、プロフィールやフリーページも久々にちょっぴり更新しました。
2007年07月24日
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気がついたら、1ヶ月以上、ブログを放置してました。4月にインドネシアから帰国してすぐに大学院生活が始まり、あわただしさの中でいつの間にか4月が終わり、ゴールデンウィークを経てちょっぴり5月病になどなって、また復活したら、もう5月20日になってました。あんまり対策できないまま受けたHSK。<初中級です。でも、今回は、ひねったひっかけ問題があまり出ず、目標の7級はクリアできたかな?って思うんですが、どうかなあ。聴力6級レベルクリア&苦手の綜合問題でやらかしていないことが条件だけど。そうそう、3月に受けた中国語検定2級は、ぎりぎり合格していました筆記66点(合格点65点)で、まさに紙一重。紙一重で落ちること計3回、いいかげん余裕で合格したかったけれど、そう簡単にはいかず。中国語もなかなか勉強時間がとれなくなってきた昨今だけど、ここまで来たのだし、なんとか続けたいなあって思っています。
2007年05月20日
インドネシアでの日々も、気づけば残すところあと二日。毎日なかなか楽しい日々を送り、また8月に来ることを心ひそかにっ、ていうか、もうみんなに言ってまわってます。<あほ?ジョグジャカルタは、まさにジャワ人(ジャワ島中部に住むジャワ語を話す人たち)にとっての京都で、実際、日本の京都市とも姉妹都市らしい。ジョグジャの人たちは、ジャワ人の文化を、そして、その中心地であるジョグジャに住んでることを、すごく誇りに思っているみたいです。そして、ジョグジャにはスルタンがいる!っていうか、そのスルタンがジョグジャの市長(知事?)です。その存在は、日本の天皇よりも、タイの国王によく似ています。みんなに愛されてて、給料はほとんどなくても、みんなが王宮で働きたいって思ってるのね。地名のジョグジャも、ジャワ語の「世界の中心の最も美しい都ジョグジャ」とかなんとかいう長い名前の一部を取ったものらしい。そんなとこまで、タイのバンコク=クルンテープ・マハーナコーン(クルンテープは世界の中心、帝釈天の住む美しい都うんたらとかいう詩の冒頭)によく似てます。決して物質的に豊かではないけれど、自分たちの文化や仕事に誇りを持っているところはなんだかとても好感が持てて私は好き。まあ、日本の京都人気質が大好きかっていうと、えへへなんですが。<京都は大好きだけど。帰国が間近に迫った今、私の気がかりは、桜を見られるかな?っていうことだったりします。バティックの体験講座で即興でデザインを考えることになった時、私の頭に思い浮かんだのは日本の春の景色ばかりでした。そんなところで日本人であることを実感し、少しびっくりしたり。そして、今、なにより感謝するのは、こうしていられる自分。いつもこの感謝の気持ちを忘れないように、ここにこっそり書きとめておきます。
2007年04月03日
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今日も、午前中は授業、午後はバティックを習いました。バティックの染色のほとんどは化学染料になっているので、学校が呼んでくれた先生もやっぱり草木染ではありません。私はあんまり化学染ってしたことがなかったんだけど、今日やってみて、その簡単さに、天然染料が淘汰されるわけがよーくわかりました。染め自体は10分とかからないし。色もよく出るし。これで、まだ天然染料でやるっていったら、それはこだわり以外の何者でもないなーって感じです。まあ、プリントがあふれかえっているこの昨今、手書バティック(Batik tulis)でやっていこうって人もまたこだわりがあるからこそなんだろうけれど。インドネシア語の方は、まだなかなか上達しないです。はい。日本でのなんちゃって勉強の貯金も、3日目にして早くも底をついたし。簡単な言葉すら、考えないとなかなかしゃべれないのよね。これはやはり、孤独にでももっと部屋で復習と音読をやらないとダメかもね。いろいろな言語を平行してやるのは弊害の方が大きいかもしれないけれど、インドネシアにもまた来たいって思ってしまったからにはもう少しがんばりますー。そうそう、明日はいよいよボロブドゥールに行きます!
2007年03月30日
今、外は雨(hujan)です。でも、インドネシアでは、傘を持ち歩く人はだれもいません。私もうっかりホームステイ(コス)に置いてきてしまったので、今こうして、雨が止むのを待っています。<待っているとそのうち止むのか、そういう精神なのかは不明。そんなわけで、通っているインドネシア語学校から出ることもできないわけですが、幸いなことに、学校のパソコンから日本語でメールが送れる事を発見。未確認だけれど、マイ・パソコンを持ってこれば、自分のパソコンからもメールできそうなので、明日はそれを試してみようっと。さて、今日は、学校2日目、インドネシア3日目になって、だいぶインドネシア語に慣れてきました。<もちえろん、コミュニケーションが取れるとかいうレベルではないw。午前中は授業、午後はバティックを習い、その後でインドネシア料理(ナシゴレンとガドガド)を習ったというか、学校の料理担当のIbu(おばさんの敬称)と一緒に作りました。バティックは毎回無言になるほど夢中になる面白さ。<スタッフの日本人は、昨日、「バティックやるくらいなら一日中踊る方ガマシ」って言ってましたがw。料理も、始める前は余計なものを申し込んじゃったと思ったんだけど、始めたらIbuが楽しい人だったこともあり、けっこう楽しく、それに、料理が出来上がると、インドネシア人のスタッフがぞろぞろ来て多いなーと思った料理をすっかり平らげてくれたりして、結構楽しかったです。食べ物の力はすごいねー。英語のおかげで英語圏の人とも話ができるのも結構助かってるかな。でも、授業でインドネシア語の意味を英語で答えさせられるのにはまいった。頭が混乱しますって。でもなによりまいったのは、タイ語がすごい干渉してくること。インドネシア語で話している時知らず知らずのうちにタイ語の単語を入れてしまったりして。<通じないからすぐわかるけどw。やっぱり、レベルが近い言語だと、覚えているのは同じような語彙だし、タイ語とインドネシア語は文法も似ているので干渉を受けやすいのかなあ。。。困ったもんです。帰るころには、今度はタイ語が出てこなくなってそう。・・・ところで、私、もう1時間以上雨が止むのを待ってるんですが、まだ全然帰れそうにありません。。。徒歩3分程度の距離なんだけどなあ。
2007年03月29日
さっき、日記を一度書いたのですが、アップする前に履歴とクッキーをクリアしたら、全部消えてしまいました。。。とりあえず、インドネシアは暑く、そして湿度も高いです。でも、人は、とってもフレンドリー。料理もおいしいし。ただし、言葉はタイ語以上にわかりません・・・。そして、そこはタイと同じく、滞在先のコスでも話しかけられる言葉はインドネシア語オンリー。明日からは、インドネシア語とバティックを習います。どうなることやらだけど、もちろん、楽しみでもある♪
2007年03月27日
毎年恒例、通算4回目となる中検2級を受験してきました。今回は、海外に行ったり、パソコンが壊れたりと、ほとんど準備する時間なし・・・。まさに実力勝負の受験となってしまいました。で、18時に出た各種中国語教室のサイトでさっそく採点。聴力:90/100、筆記:56(内、作文20点は未採点)/100聴力はOK。でもなにこの微妙な筆記の点・・・。だいたいいつも合格点は70点。でも、作文で14点も取る自信ないし、また1、2点足らずに落ちそう~。得たもの→弱点発見。それは、ずばり語彙。・・・・・・。つまり、もっとまじめに勉強しなさいってことですね。また6月にがんばります。はい。
2007年03月25日
明日からインドネシアへ行ってきます。初日以外は、ずーっとジョグジャにいる予定です。1日目:夜ジャカルタ着(※すぐにジョグジャに行きたいけど着く時間遅すぎるし・・・。)2日目:国立博物館見学→ジョグジャカルタへ移動、ステイ先へ。3日目:インドネシア語レッスンとバティック教室4日目:インドネシア語レッスンとバティック教室5日目:インドネシア語レッスンとバティック教室6日目:バティック工房見学7日目:ボロブドゥールなど観光8日目:インドネシア語レッスンとバティック教室9日目:インドネシア語レッスンとバティック教室10日目:インドネシア語レッスンとバティック教室11日目:帰国あれ?街をふらふらする時間がないぞ・・・。これでいいのか、私の旅行。
先月買ったばかりのPCにもう不具合が。起動はするんだけど、スタートボタンはじめ、画面下のバーがまったく使用不能に。サポートに電話すると、「リカバリーしてください」との宣告。泣く泣く、昨晩、リカバリーをかけました。データをバックアップし、リカバリーをかけ、さらにソフトやデータをもどすその手間なことといったら。タイ日記を更新するどころではありません。嗚呼、わずか10日しかない日本での時間がこうして刻々と過ぎていく・・・。
2007年03月21日
今日と昨日、ステイ先のお母さんの母親(クンヤイ)が亡くなったというのでお葬式があり、その手伝いをしました。ホームステイをしているとはいえ、故人の家族宅にいるものはひとしくゲストではなくホストになるらしい。水やお菓子を用意して来客に配ったり、そのグラスや皿を下げたりなどなど。もちろん、その方がこっちも気楽なんだけどね。木曜の朝にクンヤイが亡くなるまでの間も、火曜の夜も水曜の夜も、おばあさんの家にみんなして集まって、入れ替わり立ち替わりクンヤイの顔を見に行ってました。お葬式も、派手な花を会場中に飾って、夜お坊さんが来て1時間くらいお経をあげる他は、みんなにご飯をふるまったり、それに夜遅くまでお棺の前で飲んだり遊んだりしてすごすというもの。昨日もおとといも、子供たちは棺の前でトランプをして遊んでました。昨日は私も初参加。死を悼むというよりは、さびしくないようにぎやかに送り出そうという雰囲気です。どうせ死ぬのならこういう死に方は悪くないなあと思いました。明日からはカレン族の村にステイ&染色体験をしに行きます。2泊もしくは3泊の予定で、これも楽しみ♪
2007年03月09日
朝、起きて部屋で身支度をしていると、クンメーがやって来て、落ち着かない身振りと早口のタイ語で私に何かを言っている。よくわからないけれど、コー・トートと言っているから、どうもなにやらあやまっているらしい。階下のリビングに下りていくと、子供たちが順々にやってきて、クンヤイの家に行くけどいい?ときいてくる。どうも普通ではない雰囲気なのだけれど、いまいち状況を把握できないまま、両替と買物に出掛けました。昼頃、タイ語教で使うテキストを取りに家へ戻ろうとすると、途中にあるクンヤイの家の前でクンメーと次女のBちゃんに呼び止められ、家には誰もいないし鍵がかかっているから入れないよ~と言われる。なんで???でも、テキストがないと授業が受けられないし、なんとか事情を説明して、Bちゃんに一緒に来て鍵を開けてもらうことになりました。その道中、Bちゃん曰く「クンヤイ・シィア・レーオ」。???シィア・レーオ?どういう意味?ときくと、DEAD!との返事が・・・。え?ええ~!!??やっと状況が飲み込めた私・・・。それでみんなして、毎日クンヤイの家に行っていたのか・・・。でも、昨日は、私をドイ・トンとメサーイに連れってってくれたんだよ??そういえば、受け入れ先の代表者はクンメーの名前だったのに、昨日も彼女は来なかった。そりゃそうだよね。それどころじゃなかったんでしょう。考えてみれば、山へ連れていけないって言っていたのも、実は、これが原因だったのかも。「今は布を作ってない」っていうのは、タイ式の断り方だったのか・・・?真実は今もって不明のままです。--------さて、午後、学校へ行ってこのことを話し、私はこのままあの家にステイしてていいのでしょうか、と聞くと、何もきいてないしいいんじゃない?とのこと。それに亡くなったのは実のおばあさんなの?ときかれる。???実のおばあさんじゃないってこともあるの???さすが田舎、けっこうよく葬式やってるんだよね~、って、どういうことなんでしょう??で、誰に話しても、大変だねーって言われるんですが、どうしてなんでしょう??---------後からわかったことなのですが、タイ人の葬式は普通3日~1週間で、遺族がお金を使って弔問客をもてなすというものだったらしい。特に年長者が亡くなった場合は、親戚が一同に会する絶好の機会にもなっていて、全国から親戚が大集合するという一大reunion。そうして集まった親戚や近親者に毎日、昼食と夕食を振舞い、夜はお経があるんですが、このお経の前後には飲み物とお菓子が配られるので、それ目当てか、近所の人たちが毎晩お経をききに訪れるという。さて、実は、この旅行中、学校が休みの水曜日、山岳民族を支援しているあるNGOに頼んで、カレン族の天然染色を見せてもらうことになっていました。が。こちらに到着してメールをチェックしてみると、「亡くなった人が出たため、この一週間は仕事ができないので、申し訳ありませんが、今回のプログラムはキャンセルに」とのこと・・・。カレン族も、葬式は1週間、タイ人と同じように大金を叩いて行うそうなので、仕事ができない理由はまず間違いなく葬式だったのでしょう。
2007年03月08日
今日やっと、サイトを確認して結果を知りました。結果は、合格でした。よかった~。内訳は、セクション1:24/30セクション2:24/30セクション3:12/20セクション4:12/20合計:72点(合格点60点)セクション3と4での減点が大きいのは、自分でしゃべっている時でも、あっまちがえた、あっ時制無視しちゃったって思いつつ、いきおいでしゃべているツケでしょうか。それにしても、今回、英検1級に合格できるとは、正直思っていませんでした。去年の秋ごろまでは。合格できた最大の要因はずばり骨折でしょう。骨折の間、それしかできなかったというのもあり、ネットで毎日英語でおしゃべりし、英語の本を読んで、CSI NYを見てました。骨折にもなにかひとつくらいは置き土産があるといことがわかってよかった、よかった。
ステイ先のファミリーのクンメーは、職業訓練校の先生で、学校には少数民族の村から来ている生徒もたくさんおり、山へ行きたいのなら、連れて行ってくれるという話でした。ところが行ってみると、今彼らは布を作ってないから、行ってもしかたがないという。彼らが布を作るのは10月や11月なんだという。それでも山へ行きたいというと、じゃあ、と言って、今日連れて行ってくれることに。朝7時に起こされて、8時半に出発。クンポーの運転する車にNちゃんと2人乗って向かったのはクンポーの勤める大学。彼はここの先生らしい。そこの事務室で待たされること1時間。さて、やっともどってきたクンポーは次にカウンターのある某オフィスへ。そこで待たされることさらに30分。やっと出発かと思いきや、家へ戻るという。結局、家を再出発したのは10時半でした。さて、向かった先はというと、ドイ・トンという植物園でした。そこでタイ人がみなするように花を背景に写真を取り、今日は学校は休みだというと、じゃあ、午後はメサーイへ行こうという。あれ??山へ行くはずじゃあ??まあいいか・・・とメサーイへ。そう、メサーイは、タイ人のお買い物スポット。というわけで、観光もそこそこに、店が軒を連ねるマーケットへ移動。メサーイの市場は漢字が目に付く中国色の強いマーケットでした。売っているお菓子もアクセサリーも、タイでもミャンマーでもなく、中国の商品なのね。だから、あんまり買いたいものは見つかりませんでした。が。後日カレン族の村に行った時、「ギターを買うならメサーイ」とか「この赤はメサーイで買った染料で染めた」などという話をきいて、ああもっとメサーイのマーケットをよく見ておけばよかったと思うのでした。帰り道、車が妙な音を立てるので、どうするのかと思ったら、車をガソリンスタンドに停めて、クンポー自らが修理。そうだよね、JAFなんてものあるわけないし、なんでも自分で直さないとね。その後、助手席でよくよく見ると、どうもこの車、ガソリンメーターがきちんと動いてないみたいなんですけど・・・。それに、シフトレバー周辺の布(?)の破れ目から道路が見えます・・・。それに、窓ガラスもちゃんと閉まらないし。日本だったらまず車検に通らないだろうなあ。それでもここではちゃんと走ってます。---------夕食後、今日もまたクンヤイの家へ行くと、子供たちがカレーを作っている。どんなカレーを作っているのかと見ると、なんと、日本製のカレールーが置いてあるではないか。こくまろ、バーモントカレー、ゴールデンカレー、どれもウチで使っているのと同じ。ただしどれも辛口ですが。さらにその横には、日本製のカレーうどん。出来上がったカレーを味見させてくれて、「おいしい?」って、そりゃあ美味しいとも。日本で食べてるのと同じ味だもん。でも、カレーうどんは、説明の日本語の読めない彼ら、水を入れすぎて味が薄くなりすぎでした。その時はなぜ日本製のカレールー?って思ったけれど、もしかして日本人の私がいるからだったのかしら・・・?調理法に慣れているふうでもなかったし。ステイ先のファミリーは基本的に料理してなくて、食事は買ってくるか、冷凍食品を温めるのが基本でした。だから、カレーを作るのだって、大仕事だったに違いない。
2007年03月07日
今日は、ステイ先の長女のBちゃんが通っている大学(Mae Fah Luang University)へ行く。Bちゃんが荷物をまとめに行くついでに、大学を見せに連れて行ってあげようという趣旨だったらしい。が、その大学というのが、大きいのはもちろん、今まで見たこともないほどきれいな大学なのだ。中国庭園つきの孔子学院はあるし、果てはプール付きのヴィラまである。なんでも、アジア一美しい大学とのうわさだけれど、それも納得。ここは、台湾から来た大学(タイ語できいたので意味不明の説明です・・・)で、英語で授業をするインターナショナルスクールらしい。ほんとに、こんなにきれいな大学ははじめてみました。夜はクンヤイの家に行き、そこに集合していた親戚に、私が持っていったおみやげ(雛祭りグッズのインスタントおしることういろう)を分ける。ういろうは喜ばれましたが、おしるこはひどい不評でした。ちなみに、タイ語学校へ持っていった味噌煮込みうどんもいまいち不評だった模様。
2007年03月06日
夜、ステイ先でテレビを見ていると、末っ子のNちゃんがDVDを持ってきた。見ると、それは東方神起の東京ライブのDVDであった・・・。彼女は東方神起に夢中らしく、インターネットのサイトで韓国語の自主勉強もしている。リビングのホワイトボードにはハングル文字が書いてあったし、かばんにも東方神起のアイテムをいくつもぶら下げている。Nちゃんいわく、タイの学生の間では、今、東方新起は大人気らしい。じゃあタイポップスで人気なのは?ときいても、あんまり知らなーいとのこと。日本語を勉強しているにもかかわらず、頑としてタイ語しか話そうとしないNちゃん。でも、タイ語ができない日本人の私に、東方新起(日本語)のDVDや、日本のバラエティー番組のDVDを見せてくれるNちゃん。とってもかわいくていい子でした。
2007年03月05日
タイ2日目無事、タイはチェンライに到着しました。タイ北部のチェンライとはいえ、昼間の日差しの強さははんぱありません。そして、案の定、私のタイ語はあほほど通じません。っていうか、そもそも、相手の言ってることがわかりませんすばらしい記憶力、そして間違いを恐れない勇気come on! って感じです。これから、タイ語のレッスンをちょこっと受けてきまーす。----------授業後、ステイ先に移動。ステイ先には、もう一人、スイス人の女の子が滞在しておりました。彼女は、3年前にタイに交換留学生として来、この家に1年ホームステイしていたらしい。だから、タイ語はかなりできるはずだし、まわりのタイ人たちも、彼女はタイ語がじうまいって言っていたから、きっとよくできるのだと思う。でも、彼女、すごく大人しくて無口で、話す時も小声なのね。それに、英語もできるとは思うんだけど、タイ語の方が得意らしく、会話はずっとタイ語でした。<つまり、ほとんどしゃべってないw。でも、無口で大人しい彼女のおかげで、私はずいぶん助けられました。黙って座っていてもそれはそれでいいんだって思えたので。<彼女はずっとそんな感じでした。高校を卒業後、ずっとタイを旅行してて、今年の秋から大学に行くんだって。でも、大人しいとは言っても、タイにエクスチェンジで来るって相当なチャレンジャーだなあって思う。だって、授業はタイ語なわけで、読み書きも会話もできないところに一人で放り込まれるって、それってすごい体験ではないでしょうか。
というわけで、準備もどうにか終わり(何か忘れていきそうですが)、明日の夜はもうタイだというのに、どーもいまひとつ実感がわいてこないのね。あれ?ほんとに明日はタイにいるの??っていう感じ。なぜかしら??それだけではなく、タイ語の勉強もまったく進んでおらず・・・。昨日のタイ語レッスンも、私のあまりのできなさ加減に、先生は気絶しそうでした。自由会話のまったくできない私ですが、大丈夫なんでしょうか??
2007年03月03日
タイはネットカフェがいっぱいあるし、英検の結果も見られるだろうと思っているのですが、はたしてどうでしょうね。落ちてたらやっぱりショックだし帰ってから見るのが吉、かな?それから、Lingusit を一時退会することにしました。少なくとも、この1ヶ月は。3月は参加できるのが実質1週間だし、その週の終わりには、中国語検定(2級)を受けることになってるし・・・。4月以降のことは、その時にならないとわからないなあ・・・。4月からは大学院が始まって、どんな生活になるのか、まだ予定の調整もままなってないこの現状では、せっかくのLinguistのコンテンツも使いこなせないだろうし・・・。正直、今は、勉強が足りてない!進歩してない!って感じで、自分の英語に行き詰まりを覚えているのですが、勉強時間が取れないこの現状では、それもやむなし・・・ですよね。それで、最後にと、今朝6時からJohnのクラスをまたとってみました。そして、またなごみました。Johnのクラスには、なんでいつも、とてもかわいらしい感じの女性が参加しているのだろうか。不思議。
タイでの予定が決まりました。1日目:夜チェンライ到着2日目:午後、タイ語学校で2時間レッスン。夜、ホームステイ先へ移動。3日目:午前、チェンライ散策。午後、タイ語学校で2時間レッスン。4日目:ミラー財団の支援する山岳民族の村へワンデイトリップ5日目:午前、チェンライ散策。午後、タイ語学校で2時間レッスン。6日目:午前、チェンライ散策。午後、タイ語学校で2時間レッスン。7日目:午前、チェンライ散策。午後、タイ語学校で2時間レッスン。8日目:ステイ先の家族に山岳民族の村へ連れて行ってもらう。9日目:カレン族の村で染織体験&ホームステイ10日目:カレン族の村で染織体験&ホームステイ11日目:カレン族の村で染織体験&ホームステイ12日目:カレン族の村で染織体験→下山&帰国っていう感じです。ゆるゆるな私にきつきつなスケジュール。大丈夫かしら・・・?それに、この旅行、結構お金がかかってます。村訪問がすべて個人ツアーになってしまったのと、このところの円安が痛い・・・。1B=3.5円ですもんねえ、このところ。でも、航空券はUAのマイルで交換したフリーチケットです♪UAはマイルで交換したフリーチケットにはサーチャージがかからないらしいので、マイルあたりの交換比率はさほどよくないけれど、原油高の昨今、これはかなり助かりました。さて、どんな旅になるのやら。
2007年02月28日
受けてまいりました。えーっと、面接の順番って、到着順なんですね・・・。午後の面接だった私は、1時前には最寄駅に到着していたのに、スタバで時間をつぶして、集合時間かっきりに行ったら、面接の順番が1番最後になってしまいましたよ。何がイヤかって、しーーんとした待合室で待たされてる時間が一番イヤでした。ちゃんと2時に集合したのに、順番がまわってきた時にはすでに3時20分をまわっていました。でも、面接官は、アジア系アメリカ人にしか思えない発音のきれいな日本人男性と外国人女性で、どちらも感じのいい人たちでした。よかった。まず自己紹介を求められ、その後にカードを見てトピックスを選ぶことに。とりあえず、準備したトピックスはみんな無駄無駄無駄って感じでした。選んだには、「人間はこころゆくまで望むままに環境資源を使ってもよいか」というような内容じのトピックス。他はぱっと答えられそうなのがなかったし。とりあえず、きちんと構成する余裕なんてまったく無く、見切り発車で、とにかく2分をしゃべりで埋めた・・・ということしか覚えてないw。もちろんそんなのはダメ、なんでかっていうと、人間もまた自然環境や生態系に依存して生きているのだから、それをぶっ壊したら将来困ることになる、そんでもって、壊した生態系を修復する能力はないし、たとえば、水が必要だからってダムを作れば、それがまわりの環境を変えて、その結果は予測できない・・・とかなんとかいうことをだらだらと、例のw間違いだらけの英語でしゃべりました。試験官からの質問は、(1)私たちが今すぐできる環境対策はなにか(2)日本政府がすべき環境対策はなにか(3)発展途上国に対してすべき環境対策の援助は何か(4)遺伝子組み換え食品についてどう思うか(答えようとしたらベルが鳴ったので、ほとんど答えずにすんだ)とにかく、沈黙はありませんでした。でも、考えるより先に口が出るって感じで、だらだらまとまりのないしゃべりになったのは、普段の行いの結果かなあ。これで、合否の結果によって、*合格→アナタのエイゴはまあ、OKでしょう。言ってること理解しました。*不合格→アナタのエイゴのブロークンさは許容量を超えてます。改善しなさい。のどちらなのかがわかるわけですね・・・。どきどき。
2007年02月25日
英検1級のスピーチ対策を今更ながら考えてみました。<構成>スピーチは2分。13~20words くらいの文で7~10文程度話すと2分くらいになると考えると・・・。*Introduction:3~5文・・・最初の文:Yes, No や意見(結論)を言う。(・・・次の1~2文:反対意見を簡単に紹介。)・・・次の1文:簡単に自分の意見の理由もしくは問題の背景を述べる。・・・次の1文:これから挙げる理由や事例の個数を述べる。*Body(1)理由もしくは事例1:2~4文*Body(2)理由もしくは事例2:2~4文*Conclution:1~2文<内容>英検1級の過去問(2004~2005)をひととおり眺めて、答えられそうな問題を集めた結果、私の得意分野(意見を仕込んで答えられそうなやつ)は、1)グローバリゼーションと南北問題(テロなんかもここに入る)2)文化(アート、伝統など。ビジネス関連もここへ。)3)環境問題(1)とも関連ありかな?)4)教育(問題からは探し出せなかったけど)ってところでしょうか。この4つ絡みのネタを各仕込んで練習練習!
2007年02月24日
日立の2.5インチ100GBHDD、そしてHDDケースを用意し、HDD換装を決行。各種ページを調べ、いちおうの作業イメージもある・・・はず。ところが、まず、HDDのエラーチェックでつまづく。なぜか、ケースに入れたHDDをパソコンに認識しない。音はしてるのに・・・。なぜ?よくよく説明書を読み返すと、このケースはPATA対応で、ATA(S-SATA)には未対応てあるではないですか。HDDに規格があるなら、当然ケースにもあるだろうっていう超基本を外して、安いからってテキトーに買ってきたのが敗因でした・・・。近所のパソコンショップに走り、ATA対応のケースを購入。今度はうまくいったので、フォーマットとパーテーション処理をして、R2の分解にかかりました。さて、予想通り?スムーズにはいかない分解作業。すでに内部で破損していて外れないネジはあるわ、参考にしたページに書かれていたネジはすべて外しても、パッド部分の左上にどうしても外れないところはあるわで、パッド部分を空けることは結局できませんでした。が、それよりなによりも、衝撃だったのは、姿を見せたHDDが1.8インチのHDDだったことですorz。確かに、私は、このR2を、マイレッツクラブで買いました。軽量特殊モデルがあるのも知っていました。事前に型番から確認のため、検索して調べたつもりでした。でも、ねえ。はぁ。私っていうやつは、なんというウッカリ者なのでしょう。とはいえ、ここまでやると、半分壊れている(HDDだけではなく、筐体のあちこちにも破損箇所を発見した)R2だけど、なんだか愛着がわいてきたのね。でも、これ以上修理にかける時間は正直ないし・・・。結局、メーカー修理を試してみることになりそうです。とっても高い授業料だったけれど、少しはパソコンに詳しくなれたかな??
2007年02月22日
今日は思い切って、朝6時~の John のディスカッションに参加してみました。やっぱり、とってもなごみました。前回のディスカッションがいまひとつだっただけに、和み方もひとしお。大幅に遅刻しての参加だったけれど、出てよかったーって思いました。やっぱり、あんまり淡々と進むディスカッションはちょっと・・・ですよね。この間見た、某外大の小論問題で、「英会話のレッスンがコミュニケーションの妨げになっている」ってのがありました。その例として出ていたのが、除夜の鐘を聞いている筆者(アメリカ人)に、名前は何ですか、どこから来ましたか、趣味は何ですか、とテキスト通りの会話をしようとする人の話で、読んで思わず苦笑してしまいました。<よくわかりすぎw。コミュニケーションしてる感があまりないレッスンは、いくらチャットで文法的なことを訂正してくれても、終わった後で、さみしいレッスンだったなーって思ってしまうのも、それとよく似たシチュエーションなのかもしれないなー。
2007年02月21日
パソコンをぶっ壊したりしているうちに、気がつけば、今日は一次試験の結果がわかる日になってました。今回の1級の合格点は80点で、私の得点は89点。得点の内訳は、語彙17, 長文21, 作文24, L27。結果は合格でした。ホっ。よかった。作文の点が意外によくて助かりました。さて。本格的に2次対策をせねば。
2007年02月14日
R2のHDD交換とともに考えなくてはならないのが、新しく買ったR5LのHDDのバックアップとリカバリーディスクの自作です。Let'snoteテンプレが一番情報まとまってるかなって思うんですが、ここに書いてあるリカバリーディスクの自作法を読むと、なんか、すごく、ややこしそう・・・。とりあえず、私の所持しているR5は、リカバリーディスクを自作すると、HDD内のリカバリー領域が消去される仕様になっているらしい。だから、不可視領域を含め、HDDの内容を全部バックアップとってからディスクを作らないと、途中で失敗した時に取り返しのつかないことになるらしい。ということは、(1)まずこの間買った外付HDDの付属ソフトのTrue Imageをバージョンアップ(¥7200也)<価格comは、付属ソフトのみでHDDの引越しをしようとした人々の混乱ぶりがあふれかえってます。とほほ。(2)HDDのバックアップをとる※注:やり方いまだによくわかってません。(3)リカバリーディスクを作るリカバリーディスクを作る時ってフロッピードライバ&フロッピーディスクもいるのね・・・。持ってるはずなんだけど、どこいったかな?確か、母に貸したような・・・。ちなみに、今日、HDDケースと、冷却マットも購入しました。これで、日立のHDDを購入すれば、HDDを物理的に交換することはできるようになったというわけです。金曜にパナソニックに電話をしてみようっと。
2007年02月13日
先日壊れてしまったパナソニックR2のHDDを何とか交換できないか検討中。なにしろ、新しく購入したR5Lは法人用で、海外での故障は保障対象外。<まあ、個人用の場合も、保障の範囲は北米&欧州のみだから、あんまり変わらないんだけどさ。なんとかR2を復活させて、これを海外携帯用にしたいなあと思っているわけです。今は10周年記念のリフレッシュサービス期間中だし、HDD復活させて、リフレッシュしてもらえばもう一台パソコンを買ったも同じだものね。いろいろ調べた結果、HDD交換は、(1)HDDのエラーチェック(2)HDD換装(3)リカバリーという手順で進めるようなのですが、困ったのは(3)リカバリー。だって、リカバリーディスクがないんですもん・・・。パナソニックのRシリーズは、リカバリーシステムがハードディスクに内蔵されてるので、事前にリカバリーディスクを自作しておかないと、ハードディスクと一緒に御陀仏になるらしい。パナソニックはリカバリディスクを売ってくれないらしいので、HDDから情報を取り出せなかった場合は、メーカーに頼んで、リカバリーしてもらうしかないらしい。つまり、選択肢としては以下のどれかになるわけですね。(1)メーカー修理に出して、HDDの交換→インストールまで全部やってもらう。費用:5~6万円(2)自分でHDDを購入して換装(80Gで、かかっても1万円前後)→メーカーでリカバリー(1万2千円)費用:2万円前後(※ただし、HDD換装に失敗した場合は、修理費+3~4万、悪くすると修理を受つけてもらえないことも)(3)業者にたのむと、60GのHDDに換装(3万円)+壊れたHDDからリカバリー領域救出(5千円)費用:3万5千円(※ただし、リカバリー領域を救出できなかった場合はメーカーに出すことになるから+1万2千円)うーむ。でも、HDDが消耗品と判明した以上、リスクのないこの状態で、一度HDDの換装を試しておきたいという気もするんですよね。パナセンスの修理部に問い合わせて確認してから、(2)の選択肢を試してみようかな・・・。
2007年02月12日
ハードディスクがクラッシュしたこの機会に、各種ソフトなどを思い切って変えてみようかと思ってます。ツリー型メモ帳「メモ鉄」を愛用していたのですが、開発終了宣言が出てもう数年、そろそろ別のソフトをさがさないとな~と思っていたところだったので、これを機に新しいソフトを探してみることに。ツリー型メモ帳って、いまやアウトラインプロセッサの一種に分類されてるのかな?そうすると、その手のソフトは山ほど出てくるんですが、なかなか気に入るものってないもんですねえ・・・。一番ピンときたのが、NanaTree。インターフェースはシンプルで使いやすいし、Unicode対応というのが素晴らしい!ただ、独自のファイル形式なんで、便利な反面ファイルが重くなるのと、作者さんが開発をやめてしまったら、データを移管するのがまた大変になりそうなのが気になるところ。でも、とりあえずは、これをメインに使っていくことにしよう。うん。これにて私のPC環境は、・ブラウザ:Sleipnir・メーラー:EdMax・エディタ(メイン使用):NanaTree 。・メッセンジャー:skype&MSN・画像取り込み:紙・ワープロ:Word・表計算:Excel・家計簿:うきうき家計簿。って感じになりました。
2007年02月10日
台湾人のLさんと、相互学習をしました。骨折やらなにやらあったので、相互学習も半年ぶりぐらい。すでに数回続けて約束を反故にしたこともあって、PCは壊れたけれど、今日は会ってきました。知り合ってもう3年近くになるんですが、知り合った頃はお腹の中にいた子は、もうすぐ2歳で、前回会った時にはまだ歩けなかったのに、今日はもう走り回っててました。Lさんは、台湾中部の出身なので、話す中国語も微妙に(?)クセがあって、私には聞き取りずらい・・・。とはいえ、訛りのない中国語を話す人の方が圧倒的に少ないことを考えると、訛りがあると聞き取れない=中国語まだまだ、ってことなんだろうなあ。とりあえず、私の中国語の聴力はあえなく玉砕しました。今日はあまり時間がなかったので、中国語交じりの日本語日本語交じりの中国語で雑談し、Lさんに貸してあった芥川龍之介『羅生門』の中の「鼻」を一緒に読んで終わりました。Lさんはすごく勉強熱心!『羅生門』を自分でも購入し、前回、国語便覧いいよ~と私の高校時代のやつを貸しておいたら、それももう自分で買って持ってました。子育て中なのに!今度は、肉まんの作り方を教えてくれるそうです♪
2007年02月07日
約3年半使ってきた、パナソニックR2のハードディスクがクラッシュしてしまいました。昨晩、予約してあったLinguistのディスカッションに参加すべく、PCの電源を入れたら、Windowsが全く起動できなくなってました。<ディスカッションはもちろんドタキャンになってしましましたとも。ええ。バックアップをとっていなかった写真やmp3ファイル、HPのお気に入りがすべてなくなってしまいました。これまでも、各種各様のクラッシュ経験から、*メールとアドレス帳はフリーメール主体*文書ファイルは極力テキストファイルに落として、時々まとめてブリーフケースに保存。<直近のデータは1/4のものでした。*ブログに厳選リンク集を作っておく。などなど、時代についてけないなりにいちおうの対策がしてあったので、データの全消失はなんとか免れましたが・・・。でも、ハードディスクがクラッシュしたのは初めて。やっぱり、ファンなしのノートパソコンじゃ、ハードの寿命は3年くらいなんでしょうねえ・・・。ショックがそれほど大きくならずに済んだのは、最低限のデータが残ったことももちろんですが、パソコン自体、そろそろ換え時かな~と思っていたのもあります。<早めにあきらめがついた。仕方なく、通販にてパナソニックR5Lを購入しました。市内の家電量販店にはもう在庫がなくて、ネットでの購入になってしまったので、多少高くついたけれど、メーカー3年保障付きの法人モデルにしました。ノートパソコンって、3年も使っていれば、その間に数回は必ずトラブりますよね。それから。壊れた翌日になって、バックアップ用のHDDを初めて購入しましたw。
仕事での、ぎゃ~っという体験も覚めやらぬまま、初絵画教室へ。さっそくデッサンをすることに。超基本の円柱、球、キューブをこんな感じかな~、と描いたところ、先生に、ちゃんと描けてる認定をしてもらう。おや、実は、私、絵が描けたのかしら??などと錯覚し、嬉しくなる。これは簡単すぎたね~と言って、先生が次に出してきたのは、ジョッキとテニスボール、そしてブリキ缶。・・・ちょっと難しくなりすぎじゃないですか???ガラスが特に難しくて大変だったけれど、一番面白くもありました。感想はというと、目が痛くなりました。教室はいちおう1回3時間なのですが、時間があるならもうちょっといてもいいよ~という先生のお言葉も、疲れたために辞退してきてしまいました。でも、絵を描いて、仕事のショックが少し癒されたかな。
2007年02月03日
仕事で失態を犯す。。こういう時って本当に落ち込む・・・。英語も中国語も、まだレベル低っ。て感じなので、その言語を聞いたり話したりすることに集中してないとまだまだスムーズな意思疎通は無理。でも、言葉にばっかり集中していると、やるべきことを忘れていたり、伝えるべきことを伝え忘れていたりする。だけど、仕事してる時、言葉だけに集中できることなんてほとんどありっこないわけで、必然、ミスも多くなるというわけ。やっぱり、意識せずに言葉をあやつれるようになって、初めて一人前といえるんだろうなあ(遠い目)
3月上旬にタイ北部、チェンライに行くことにしました。目的のひとつは、染織をみせてもらうこと。3月は丁度農閑期で染色に適したシーズンらしく、期待大。で、もうひとつの目的はタイ語を(ちょこっと)習うことだったりします。去年の年末から、某所のネットレッスンを受けているのですが、私のレベルがおどろくほど低いので、横で日本人の方にチャット等でフォローしてもらわないと全然意味がわからないという。ほめられてもわからない。けなされてもやっぱりわからない。先週と同じ質問をされても、やっぱりわからない~。あげく、毎週きいてる質問ですよって注意されちゃいました・・・。しょぼん。今日は歌を歌ったんですが、いや、歌は楽しかったんですけど、先生のアカペラに合わせて2回歌っただけで、じゃあ、今度は1人で歌ってみて、って、無理ですっ。それでもう歌えるんだったら、私は今頃、プロの歌手になってますって。その後、バンコクの正式名称知ってる?という話になって、クルンテープ・マハーナコーンの詩を読み出し、読み終わったらおもむろに、書き取りましたか?って、今まで何を言っていたのかもわからなかったんですけど・・・。運良く某カルチャースクールでもらった詩のプリントがあったので、それを見せたら、チャーイ、チャーイ、チェンライにくる時それ持って来てね、またやるから・・・って、この詩、むちゃくちゃ難しい内容の予感なんですが。<日本語訳見る限り。何を聞かれても ヤン マイ カオ チャイ カ な私でも大丈夫なの??
2007年02月02日
今日は、友の出産祝いを買いにシンシア石川橋へ行きました。ついでに、そこに入っているインド料理:Kumarでおひとり様ランチしました。味は、まあまあ。ランチはともかく、ディナーはちょっとお高め。<後からウェブで見たら、タンドール・チキンが美味しい店だったらしい。しまった。お金をけちるんじゃなかった・・・。店では、あやしい日本語をしゃべる人なつこいインド人が応対してくれました。英語しゃべるの?ときかれたので、しゃべるよと答えたら、英語一本やりに。日本に来たばっかりの時はレストランのメニューさえ読めなくて大変だったとかいろいろ話をきき、最後にはカードの申込書をなんちゃって翻訳までする始末。しかし、コース名の定額やら標準やらは、説明書もなしにいきなり翻訳できないよねえ。出身は南インドらしい。彼曰く、日本に来てるインド人は北部出身が圧倒的に多いとのことなのだけれど、私が今までに名古屋で遭遇したインド人はみんな3人とも南インド出身でしたよ。不思議。ここのサービスはホテルのようだとの評判だったのですが、、ホテル並かどうかは不明。楽しかったけどね。
2007年02月01日
Lingusit Discussionに参加。 お題は"Colors"、チューターはJulieでした。参加者は、他にもう1人、日本人の女性と、台湾人の男性。でも、この台湾の方、パソコンの調子があまりよくなかったらしく、途中で消えてしまいました。poor guy!ディスカッション自体は、いつになく(?)盛り上がって、笑いすぎのあまり涙が出てくるほどでした。これっていいことなのかな?まあ、すごく楽しかったからいいか。ディスカッションで学んだフレーズ↓↓↓black and white kind of guy =なんでもシロクロはっきりつけたがる人see red =really angrybold face lie =真っ赤なウソyellow-bellied coward =chickengreen =greedypolka dot =(大きめの)水玉模様ちなみに、私は、John@Scotland のディスカッションも好きです。彼のディスカッションはなんだかとてもなごむので。
2007年01月31日
某孔子学院の中国語教室で、鳳凰衛視の“魯豫有約”というトークショー番組を見ました。陳魯豫が一般人から有名人まで、いろんな人をゲストに迎えてトークするというもの。今日見たのは、北京大学の新入生のインタビュー。結構面白かったので、家に帰ってこの番組を検索したら、清原的主項というすばらしいサイトを発見。大学で中国語を教えている先生のサイトなんだけど、すばらしいリンク集があります。これで、重~い中国のサイトを自力で探索しなくてもよくなってうれしいです。
2007年01月30日