カテゴリ:デジタル カメラ
ブログでは趣味的な内容に限定し、仕事に関わることは書かないことにしている。だが、何でも例外というものがある。
今日はある脚本家の死を悼むために書こうと思う。その方の名前は新田隆男さん。7日に悪性リンパ腫で亡くなった。41才の若さだった。 新田さんとは仕事を通じて知り合った。彼は当時、ある映画会社で宣伝を担当していた。そして、退社後(僕にとっては)突如、「うずまき」というホラー映画で脚本家としてデビューした。 「うずまき」はHiguchinskyというふざけた名前の監督がメガホンを執り、中身もふざけたホラーだった。型破りだったということだ。 度が過ぎたのか、「これは映画じゃない」という辛口の評価もあったが、その奇妙な世界観を面白く見た。 そんなことを告げると、新田さんは「そんなことを言う人は少ないです」と照れくさそうに笑った。ひょうひょうとしたところ、謙虚なところは肩書きが違っても変わらなかった。 最近のご活躍は知らないのだが、ホラー作品を中心に手掛けていたようだ。 長らく血液の病気を患っていたそうで、一時は回復したそうだが、再び病に倒れたと聞いた。 それにしても41才は若すぎる。僕にとっても目前の年だ。あと2年。期限が区切られていたら、何をするだろうか。 ずっと頭の片隅にあるストーリーをまとめるだろうか? 新田さんが脚本家としてデビューされたと聞いた時、羨ましさと同時にこういうやりかたもあるのか、とも思った。 恥ずかしながら、一度だけ夢について告白しよう。本当に一度きり。 それは映画製作に関わること。原作でも脚本でもいい。そういう意味でも、新田さんは僕の憧れであった。 ここまでの文は告別式へ向かう電車で書いた。 昨日、訃報を知ったが、仕事で通夜には行けず。午前3時に帰宅し、寝たのは4時。起きたのは9時すぎだった。 11時の開始には間に合いそうもなかったし、体力的にはヘロヘロだった。電報を打ち、告別式は失礼しようかとも思った。 しかし、最後のあいさつをしなかったら後悔するだろうと思い、慌てシャワーだけを浴び、家を出た。 終了予定時間の正午近く会場に着いた。けして広くない会場には、人が溢れ、献花の列はまだ続いていた。棺の中には闘いを終えて、安らかに眠る新田さんがいた。会えてよかった。 最後、親族のご挨拶で闘病は2年3か月に及んだと知った。その言葉に、それまで気丈に振る舞っていた夫人が泣き崩れた。 壮絶な日々が甦ってきたのだろう。言葉もない。葬儀の後、久々に会った知人と食事をした。これも新田さんが引き合わせてくれたことだ。この後、仕事があるというにビールで献杯した。そして、知人はひょうひょうとした新田さんの言い方を真似て「まぁ、ゆっくりやってください」とやった。 新田さんが言いそうな言葉だった。 そう、新田さん。闘病、お疲れさまでした。これからは天国でゆっくりやってください。 グラスを合わせながら、そう願った。 葬儀場近くにある坂「袖摺坂」。あまりにも狭く、袖が摺り合うことから、こう呼ばれた。袖が摺り合うのも何かの縁。人の縁というのは不思議なものだ 写真はCaplio GX100で撮影。 《新品》RICOH Caplio GX100 VFキット Map価格 59,810円 (税込 62,800 円) 去年の日記は? 2006/07/10 銚子センチュリーラン お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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