テーマ:アメリカ旅行記/生活記(952)
カテゴリ:旅
前夜の雨とは打ってかわって、晴れ。仕事も滞りなく終わったので、存分に観光(笑)。
「どこか行きたいところありますか?」と同行のY氏。 「自由の女神は行ったことありますか」と僕。 「ないです」 「ベタですが、行きませんか?(笑)」 「いやぁ、ベタですけど、行きますか(笑)」 呑気なものだ。ニューヨークは05年以来2度目の滞在。前回は時間がなくて、バッテリーパークから沖の女神を見ただけだった。 「ウルトラクイズ」を見て育った世代としては、ニューヨークと言えば、自由の女神、自由の女神と言えば、ニューヨークなのだ。 女神を見るには、時間に余裕が必要だ。フェリーで島に渡るのだが、これがたっぷり並ぶ。 テロの影響もあって、セキュリティチェックもある。 三階に陣取る。女神を正面から眺めるには進行方向の右手がベスト。 15分もすれば、島に到着。女神の正面に出る。 女神はサンダル履き、見えない台座部分では足が拘束されている。にもかかわらず、毅然と立ち、右手に世の中を照らす松明、左手には知識を意味する本を抱えている。 島ではオーディオガイドが活躍。説明文にある番号を電話機みたいなマシンに入力すると、日本語による解説が流れる。 女神は仏パリで造られたのは有名な話だが、ニューヨーク側も準備に追われた。 エッフェル塔で知られるエッフェルがデザインを手がけた。像の下にある当時のパネルより 米国側の負担だった台座は資金が足りなかった。そこで活躍したのは、ピューリッツァー賞でおなじみのジャーナリスト、ピューリッツァー。彼は女神建立がいかに意義深いことかを書き、民衆に10万ドルの寄付を募った。 すると、金持ちではない層からも次々とお金が寄せられた。中には子供がこずかいから出した10セントなんていうものもあった。 女神は米英の対立に助太刀したフランスの友情で話が始まり、それがマンハッタン島の入り口に置かれたことで、象徴的な意味を持った。 アメリカという国は寄付に理解が深い。日本でも義援金が根付いてきたが、こういうシンボルを作るということにはまだまだ。 しかし、振り返ってみれば、江戸時代には普請といった考えもあったし、大仏建立の多くは寄付によって賄われている。戦時中も隣組はあった。 それがいつ、なぜ消えたのか? 自由の女神を羨ましいと思った。ここには、アメリカの開拓時代からの伝統、先祖へのリスペクトがある。 写真はCaplio GX100で撮影。 《新品》RICOH Caplio GX100 VFキット Map価格 56,000円 (税込 58,800 円) 送料別 去年の日記は? 2006/07/30 パーゴラフェンス、ほぼ完成?花壇上にラティス お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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