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2018年も間もなく終えます。(あまり意味のある数字とも思えないが、イエスとは無関係人には・・・とにかく1年は過ぎますね・・・) 太陽の周りを一回転で1年・・・、次の一回転軌道上で引き続き、太陽のエネルギーを糧に、エネルギー産生・消費・生殖の生命サイクルを無難にこなせることができるよう祈りたいと思います。 見えざる太陽系の神?の意向の下に・・・ 当ブロガーは、「地球の気温の上昇或いは下降」は、 地球の109倍の径、体積は(1.09*102)3=106倍(100万倍)、質量は地球の約33.3万倍の、 「核融合天体である太陽の活動の圧倒的影響下にある」との説に賛意をもつものです。 植物の光合成活動とは、光エネルギーを吸収し、二酸化炭素を消費し、酸素をも産生、 6CO2 + 12H2O → C6H12O6 + 6O2+6H2O の反応で、糖類(でんぷん)さらにこれから多糖類を生成する過程をいう。 太陽は太陽系全体の質量の99%以上を占めている。そうです。(ブリタニカ)
はたして、CO2は温暖化の元凶であるというのは本当なのか? 単なる支配的人間達の政治的思惑からのプロパガンダではないのか、トランプはこの面では正確な情報をGETして対応しているのでは・・・まっとうな頭を首の上にのっけている人は、自ら再調査検討してみるべきであろう。
閑話休題
○ 知ってからは却ってアヽ知らない方が宜かったと思ふ事が時々あります。(明治44年、漱石)
○ 『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(矢部宏治) 『知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた』(同)
上の矢部氏の2つの書は、おそらく今の首相も殆どの国会議員、政治家も、要は日本人の殆どが知らなかったことを、普通の広告代理店社員だった著者が沖縄で感じた素朴な疑問から出発して、綿密な調査により、次々と疑問を深追いしていく中で見えてきた、戦後日本の恐るべき(マゾ的とも言える主権喪失)実態を、白日の下に晒してみせてくれたものです。20万部、30万部と言わず1千万部を全国に配布すべきものかと・・・。 かって江藤淳は『閉ざされた言語空間』において、戦後占領期のGHQによって実行された、徹底的な言論封鎖・検閲の実態を、米公開公文書等の徹底調査の上、暴露した。 一般国民の手紙開封(蒸気による貼り糊溶解により開封・読みとり、再封)検閲(censorship)から、「プレス・コード新聞規則」(1945.9)による新聞・出版物・放送支配、即ち「自ら行わせる事前検閲」、やがて事後検閲(1948.7~) (形式的)占領が終了する頃には、なんとメデイアは、「自主検閲」の性癖が骨身に染み込んでしまい、現在もその残滓が要では顔を出す、日本・・・。
江藤氏の提示された事実は、矢部氏の提示された事実と、底流において、現在も対応していると思われる・・・。
明治44年(1911)8月、和歌山県での 『現代日本の開化』とのテーマでの講演、維新前年1867年に生まれた夏目金之助氏は、生後すぐに里子に、生家に戻ったと思ったら今度は養子に、幼くして両親から離される環境の中、(なんとか生き延び?)10歳頃に再び実家へという波乱の幼年期を。 漢文学を嗜んだ氏は青年期に、正岡子規と出会い親友となった。東大英文科へ進み、英語教師の道をあゆんだ。1900年文部省留学生として、英留学を命じられる。在英2年。やれ鬱だったとかいわれていますが、『倫敦塔』等を書く氏は、当時の日本人としては、英欧州に関するただならぬ識見を持っていたと思われます。英留学へのインド洋船上では、知己の英夫人等と親しく付き合い、また、英文で書いた青年金之助の深い内面を吐露するポエムが残っています。東大予備校時代からの親友中村是公氏が、後藤新平の後を継いで「満鉄総裁」になっていた時に、彼の招きもあり、朝鮮~満州の旅もしていますね。是公氏の手配で、日露戦の旅順戦闘跡(203高地の地下壕等)を案内してもらい、生々しい激戦闘時の様子も耳にしているようです。伊藤博文が撃たれた(1909.10.26)ハルピン駅ホームにはその1か月程前に立っており、感慨をのべています。
夏目漱石が「現代日本の開化」で述べている「日本人論」は、現代日本においても、「まっとう」であることは間違いない、ことは一度読んでみれば感じられることかと・・・。
① プーチン発言の衝撃
佐藤優 「本音のコラム」 東京新聞 2018.12.28
二十日、モスクワで行われた会見で、日本人記者の質問に答えたロシアのプトチン大統領が沖縄の米軍基地について、かなり踏み込んだ発言をした。ロシア大統領府公式サイトのロシア語記録から関連部分を翻訳しておく。 「巨大な米軍基地が既に長い間、数十年も存在していることをわれわれは知っている。それでは、(米軍事施設設置の)決定に(日本が)参加する可能性についてだが、われわれにはよくわからない、閉ざされた部分になっている。この種の決定がなされるにあたっての日本の主権の水準をわれわれは理解できていない。あなたは、他の記者よりも、沖縄県知事が基地の強化と展開に関連したいくつかの決定に反対していることをよりよく知っていると思う。 知事は反対しているが、何もやり遂げることができない。 (中略)すべての人が反対しているが、それは実行されつつある」 プーチン氏は、沖縄の民意に反する辺野古新基地建設を日本政府が強行しているのは、日本の自発的意思に基づくものか、米国の圧力に抗せないからなのかを問うている。 日本政府は、ロシア政府に「日本の自発的意思に基づき、辺野古の基地建設を行っている」と回答することになる。 返還後の歯舞群島と色丹島に米軍が展開されないという約束を担保するためには、それ以外の選択肢がないからだ。 (作家・元外務省主任分析官)
② 沖縄の米軍基地 『日本の主権どれだけあるのか』
北方領土交渉でプーチン氏懸念 東京新聞 2018.12.21 【モスクワ=栗田晃】ロシアのプーチン大統領は20日、年末恒例の大規模記者会見を開き、日本に北方領土を引き渡した場合、米軍施設が設置される可能性に懸念を示し、「日本から回答がなければ、根本的な決定をしづらい」と平和条 約締結の条件として挙げた。日本メディアの質問に答えた。 沖縄県で、米軍基地移設反対の地元住民の声が政策に反映されないことを例に 挙げぐ日本の姿勢を「こうした問題に関する決定に、日本の主権がどれだけある のか、理解できない」と疑問視。曰本に導入が予定される地上配備型迎撃システ ム「イージス・アショア」を念頭に、「米国の潜在核戦力の一部。防衛ではな く、攻撃兵器だ」とロシアの安全保障上の大きな脅威になると指摘した。 プーチン氏と安倍晋三首相は11月、歯舞群島、色丹島の2島引き渡しを定めた 1956年の日ソ共同宣言を基礎に、平和条約締結交渉を加速させることで合意。プ ーチン氏はへ「日本との条約締結を望んでおり、関係の完全正常化に向けた気持ちは一致している。難しい過程だが、ともに進む用意はある」と語った。
③ 日本外交と政治の正体 トランプ大統領は日本が今も占領下にあることを示した 孫崎享外交評論家 1943年、旧満州生まれ。東大法学部在学中に外務公務員上級職甲種試験(外交官採用試験)に合格。66年外務省入省。英国や米国、ソ連、イラク勤務などを経て、国際情報局長、駐イラン大使、防衛大教授を歴任。93年、「日本外交 現場からの証言――握手と微笑とイエスでいいか」で山本七平賞を受賞。「日米同盟の正体」「戦後史の正体」「小説外務省―尖閣問題の正体」など著書多数。 2017年11月10日 日刊ゲンダイ 「ああ、日本はいまだに米国の占領下が継続しているのだ」 〈息子ブッシュ大統領が2008年に新千歳空港から入出国ってのがありました 基地はフォード大統領まで遡ってトランプ一人です〉 〈マッカーサー気取りでしょうか〉 日本は独立国家だが、当初予定していた姿とは異なる。日本が1945年8月15日に受諾したポツダム宣言には〈責任ある政府が樹立された場合には、連合国の占領軍はただちに日本国より撤収する〉と書いてあるが、実態はそうなっていないからだ。 サンフランシスコ講和条約と同時に日米安保条約が結ばれ、実質的な合意は行政協定(今の地位協定)である。
1951年1月26日、日本との交渉に先立ち、ダレス(米国の交渉責任者)は最初のスタッフ会議で〈われわれは日本に、われわれが望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保できるだろうか、これが根本問題である〉と指摘し、その流れが今日まで続いている。天皇陛下とトランプが皇居で面会していた頃、日の丸を掲げ、軍歌を流しながら周辺を走り回る3台の右翼街宣車を目撃した。その時、思い出したのが、(ブログ注:1970年11月25日)防衛庁で演説後、割腹自殺を図った作家、三島由紀夫の檄文である。 〈あと2年の内に自主性を回復せねば、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう〉 三島の行動を支持するつもりはないが、今回のトランプ来日は、米国に隷属する日本、媚を売る首相の姿を世界にハッキリと示したので ある。 以上。
④ 現代日本の開化 明治四十四年八月和歌山に於て(一九一一年 夏目漱石 四四歳) 甚だお暑いことで、斯う暑くては多人敷お寄合ひになって演説などお聴きになるのは定めしお苦しいだらうと思ひます。殊に承れば昨日も何か演説會があったそうで、さう同じ催しが続いてはいくら中らない保証のあるものでも多少は流行過(はやりすぎ)の気味で、お聴きになるのも余程御困難だらうと御察し申します。が演説をやる方の身になって見てもさう楽ではありません。 殊に只今牧君の紹介で漱石君の演説は紆余曲折の妙があるとか何とかいふ廣告めいた賛辞を頂戴した後に出て同君の吹聴通りを遣(や)らうとすると恰も紆余曲折の妙を極める為の芸当を御覧に入れる為に登壇したやうなもので、苟も其妙を極めなければ降りることが出来ないような気がして。いやが上に遣りにくい羽目に陥って仕舞ふ譯であります。
斯く積極消極両方面の競争が激しくなるのが開化の趨勢だとすれば、吾々は長い時日のうちに種々様々の工夫を凝し智慧を絞って漸く今日迄発展して来たやうなものゝ、生活の吾人の内生に典へる心理的苦痛から論ずれば今も五十年前も又は百年前も、苦しさ加減の程度は別に変りはないかも知れないと思ふのです。それだからして此位労力を節減する器械が整った今日でも、又活力を自由に使ひ得る娯楽の途が備わった今日でも生存の苦痛は存外切(せつ)なもので或は非常といふ形容詞を冠らしても然るべき程度かも知れない。是程労力を節減出来る時代に生れても其忝(かたじ)けなさが頭に應(こた)へなかったり、是程娯楽の種類や範囲が拡大されても全く其有難味が分らなかったりする以上は苦痛の上に非常といふ字を附加しても好いかも知れません。是が開化の産んだ一大パラドックスだと私は考へるのであります。 (中略) あなた方は講演よりも茶菓子が食ひたくなったり酒が飲みたくなったり氷水が欲しくなったりする。其方が内発的なのだから自然の推移で無理のない所なのである。 是丈説明して置いて現代日本の開化に後戻をしたら大抵大丈夫でせう。日本の開化は自然の波動を描いて甲の波が乙の波を生み乙の波が丙の波を押し出すやうに内発的に進んでゐるかと云ふのが当面の問題なのですが残念ながらさう行って居ないので困るのです (中略) 所が日本の現代の開化を支配してゐる波は西洋の潮流で、其波を渡る日本人は西洋人でないのだから、新らしい波が寄せる度に自分が其中で食客(いそうろう)をして気兼ねをしてゐる様な気持になる。新らしい波は兎に角、今しがた漸くの思で脱却した古い波の特質やら真相やらも辨(わきま)へるひまのないうちにもう棄てなければならなくなって仕舞った。 食膳に向って皿の数を味ひ盡す所か元来どんな御馳走が出たかハッキリと眼に映じない前にもう膳を引いて新らしいのを並べられたと同じ事であります。斯う云ふ開化の影響を受ける國民はどこかに空虚の感がなければなりません。叉どこかに不満と不安の念を懐かなければなりません。夫(それ)を恰も此開化が内発的でゞもあるかの如き顔をして得意でゐる人のあるのは宜しくない。それは余程ハイカラです、宜しくない。虚偽でもある。軽薄でもある。自分はまだ煙草を喫っても碌(ろく)に味さへ分らない子供の癖に、煙草を喫ってさも旨さうな風をしたら生意気でせう。夫を敢てしなければ立ち行かない日本人は隨分悲惨な國民と云はなければならない。開化の名は下せないかも知れないが、西洋人と日本人の社交を見ても一寸気が付くでせう。西洋人と交際をする以上、日本本位ではどうしても旨く行きません。交際しなくとも宜いと云へば夫迄であるが、情けないかな交際しなければ居られないのが日本の現状でありませう。而して強いものと交際すれば、どうしても已を棄てゝ先方の習慣に従はなければならなくなる。我々があの人は肉刺(フォーク)の持ち様も知らないとか、小刀(ナイフ)の持ち様も心得ないとか何とか云って、他を批評して得意なのは、つまりは何でもない、ただ西洋人が我々より強いからである。我々の方が強ければ此方の真似をさせて主客の位地を易へるのは容易の事である。がさう行かないから此方で先方の真似をする。しかも自然天然に発展して来た風俗を急に変へる譯にいかぬから、たゞ器械的に西洋の禮式などを覚えるより外に仕方がない。自然と内に醗酵して醸された禮式でないから取ってつけた様で甚だ見苦しい。是は開化ぢやない、開化の一端とも云へない程の些細な事であるが、さう云ふ些細な事に至るまで、我々の遣(や)ってゐる事は内発的でない、外発的である。是を一言にして云へば現代日本の開化は皮相上滑りの開化であると云ふ事に帰着するのである。無論一から十まで何から何までとは言はない。複雑な問題に對してさう過激の言葉は慎まなければ悪いが我々の開化の一部分、或は大部分はいくら己惚れて見ても上滑りと評するより致し方がない。併しそれが悪いからお止しなさいと云ふのではない。事賞已むを得ない、涙を呑んで上滑りに滑って行かなければならないと云ふのです。 (中略) こんな結論には却って到着しない方が幸であつたのでせう。真と云ふものは、知らない中は知りたいけれども、知ってからは却ってアヽ知らない方が宜かったと思ふ事が時々あります。モーパッサンの小説に、或男が内縁の妻に厭気(いやけ)がさした所から、置手紙か何かして、妻を置き去りにした儘友人の家へ行って隠れて居たといふ話があります。 (中略) 日本の現代開化の真相も此話と同様で、分らないうちこそ研究もして見たいが、斯う露骨に其性質が分って見ると却って分らない昔の方が幸幅であるといふ気にもなります。兎に角私の解剖した事が本當の所だとすれば我々は日本の将来といふものに就てどうしても悲観したくなるのであります。外國人に對して乃公(おれ)の國には富士山があると云ふやうな馬鹿は今日は余り云はない様だが、戦争以後一等國になったんだといふ高慢な声は隨所に聞くやうである。中々気楽な見方をすれば出来るものだと思ひます。ではどうして此急場を切り抜けるかと質問されても、前申した通り私には名案も何もない。只出来るだけ紳経衰弱に罹らない程度に於て、内発的に変化して行くが好からうといふやうな體裁の好いことを言ふより外に仕方がない。苦い真實を臆面なく諸君の前にさらけ出して、幸幅な諸君にたとひ一時間たりとも不快の念を与えたのは重々御詫を申し上げますが、又私の述べ来った所も亦相当の論拠と應分の思索の結果から出た生真面目の意見であると云ふ点にも御同情になって悪い所は大目に見て頂きたいのであります。 以上。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 15, 2019 11:32:05 AM
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