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2021.12.19
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カテゴリ:ビジネスブログ
 ヒット商品応援団日記No801毎週更新) 2021.19




「下山からの風景」に学ぶ

 

緊急事態宣言が全面的に解除され日常を取り戻しつつある。しかし、コロナ禍以前に戻ることなど誰も考えてはいない。自重しながら慎重に日常の生活行動へと向かっている。その理由のほとんどが第五波と呼ばれた感染拡大、東京の場合8月に入り連日5000人台の感染者を出したが、お盆明けから急激に減少へと向かった、つまり、減少理由が不明のままであることによる。こうした劇的な減少を海外メディアはワクチン接種とマスク着用が要因(英国ガーディアン紙)、挙げ句の果てには韓国メディアでは虚偽の報告がなされているとまで報じている。最近では京都大学の上久保靖彦特定教授のグループ研究では日本人は早期から新型コロナウイルスに感染し抗体を持っていたとし、”国民集団免疫説”プレジデントオンライン)に依るものだとする論文が出されている。つまり、「ウイルス側」に減少理由があるという説である。これまでの感染症専門家による人流抑制策など根底から検証されることが問われる論文である。何れにせよ、新型コロナウイルスの本質に更に迫って欲しい。

ところで本論に戻るが、前回の未来塾で投げかけたのはバブル崩壊以降の社会・経済の停滞と言う問題がコロナ禍によって大きく表舞台に出てきたことを指摘した。そして、着目すべきは昭和、特に30年代を軸に学びを進めてきた。今回もバブル期前までの無名の人々の挑戦、どんな「時代の敵」と戦ってきたかを辿ってみた。

第二の創業期を迎える

コロナ禍によって大きな被害を受けたが、同時に多くのこともまた学んだ。エコノミストによれば、政府系金融機関などの無担保無利子融資残高は30兆円に及ぶと試算している。簡単に言えば大きな借金を背負っての「日常」に向かっての再出発である。私の言葉では第二の創業期を迎えたと言うことだ。特にホテル・旅館などの観光産業、飲食業と裾野の関連企業が当てはまると言えよう。

まず創業期を思い返すことから始めよう。創業期にはあったものは「何か」を思い起こすことから始める。「夢」といった大きなこともさることながら、ああもしたい、こうもしたい、どれだけできたであろうか、振り返ってみることだ。大切にしてきたことは何か、それはどのように変化してきたか、と言うことでもある。描いてきた「ビジネス」はどこまで達成できたか、できなかったことは何か。

このコロナ禍によって業態の転換を図った企業も多い。例えば、ワタミのように居酒屋業態から焼肉業態への転換もあるだろうし、テイクアウト業態のさらなる拡大に向かった飲食店もあるだろう。チェーン展開している外食企業においては多くの休業店舗を再スタートさせることであろう。いずれにせよ、新たな「考え」によってビジネスがスタートする。その時検討すべきが時代を超えたコンセプト、時代を取り入れたコンセプト、何を残し、何を変えていくのかという課題である。




今から3年ほど前になるが未来塾「コンセプト再考」でいくつか事例を踏まえて学んだことがあった。その中の一つに元祖カツカレーの老舗「王ろじ」を挙げたことがあった。創業1921年(大正10年)老舗とんかつ「王ろじ」のカツカレーである。その大正10年と言えば、その2年後には関東大震災が起きた時期である。東京新宿にあるとんかつ専門店で、その店名「王ろじ」の由来は「路地の王様」とのこと。場所は新宿三丁目の伊勢丹本店裏に当たるのだが、まだ伊勢丹本店が移転しオープンする前で、大規模な商業施設も少なく、まさに路地裏の店であった。当時の新宿三丁目は宿場町内藤新宿の面影を残した賑わいのある街であった。新宿通りが表通りで、「王ろじ」はその裏通りに当たり、まさに路地裏のとんかつの王様であった。その「王ろじ」も競争市場にあって今なお存続している最大理由は変化する時代にあって、「何を残し」、「何を変えていくのか」という避けて通れない課題である。この課題は「人」がビジネスを継承していく場合真っ先に答えを出さなければならない。ビジネス規模によっても答えを出す手続きなど異なるが、実はビジネスをビジネスとして存在させているのは「顧客」「市場」であり、コンセプトの最大の支持者であることを忘れがちである。株主や取引先、あるいは従業員もその「答え」の関係者ではあるが、顧客にとって「何を残して欲しいか」、「何を変えて欲しいか」が一番重要なことである。そうしたコンセプトの世界を表現したのが、店頭看板の写真である。
顧客主義に立ち返るコンセプト再考




緊急事態宣言が全面解除となったが、飲食業界も観光産業も一様に顧客が戻ってくれるかどうか不安だと言う。つまり、単なる躊躇しているだけでなく、今までの行動とは異なる行動へと変わってしまったのではないかと言う心配である。確かに100%元のように戻ることはない。忘年会や新年会が以前と同じように行われるかと言えば、多人数の会食は少なくなるであろう。従業員などのワクチン接種など安心環境の整備は必要となるが、、やはり新しい魅力が必要となる。前述のホテルにおける快眠の新しいコンセプトではないが、新しいメニューの提案での再スタートが望まれる。2部屋をnagomルームにしたように「小さな」メニューアクションと言うことである。まず「点」を打ってみると言うことだ。
繰り返しになるが、商品は最大のメディア、情報発信力となる。ホテルの事例のように1部屋、2部屋から始めると言うことだが、飲食業の場合はどうか。写真は「王ろじ」のカツカレーである。私が知ることになってかなりの時間が経つが、この盛りつけは美味しくインスタ映えもする。面白いことにカレー好きにはあまり好評価にはなっていないようだ。その一番の理由がカレールーの量が少ないと言うことのようである。私はこうした顧客評価を否定はしないが、カレールーの少なさにはこだわる必要はないと考えている。何故なら「王ろじ」はとんかつ専門店として「カツ」の美味しさを売る店で、カレーを売る店ではないと言うことである。老舗が変化する時代を潜り抜けるには「何を残し何を取り入れるか」であり、とんかつ専門店としての顧客支持を大切にしたいということで、たっぷりとしたカレールーを食べたいと思う人はカレー専門店に行けば良い。このように新メニューで変化をつけられなければ、「盛り付け」のアイディアで再スタートを切れば良い。つまり、今一度「誰を顧客とするのか」、コンセプトを再考するということだ。
競争力とは新しい価値を生み出すこと
失われた30年、先進国中成長できない国と言われ、結果賃金も上がらない日本、・・・・・「安定」という現状維持意識が蔓延する日本が指摘されてきたが、バブル崩壊以降グローバル競争市場にあって新たな産業を生み出すことができなかったことによる。バブル期の1980年代、例えば造船産業は世界シェアー50%を超え、半導体も世界をリードするポジションであった。この産業変化については未来塾「転換期から学ぶ」で取り上げてきた、今一度読み返していただければと思う。
今回いくつか取り上げた事例に共通することは「新しい価値創造」と言えるであろう。既成にとらわれない、一見非常識に見える、・・・・・・こうした挑戦が生まれないのは何故かである。その新しい価値創造は「人」によってなされてきた。どんな働き方であったのか、次のような総労働時間を見ていくとわかる。



最新のデータでは平成20年9月のリーマンショックの影響により景気が悪化し、所定 内・所定外労働時間がともに減少した。しかし、平成21年度には初めて1800時間を下回り、その傾向は続いていると推計されている。
つまり、2400時間を超えて働いていた「昭和」と比べ、平成・令和の時代は600時間も少ない労働時間である。現在の若い世代にとって「昭和」はブラック企業が活躍した時代であると解釈するかもしれない。短絡的に考えれば昭和の高度経済成長期は遅れた「ブラックの時代」であると考えても不思議ではないということだ。
一見すると長時間労働の代表のように思える業態に24時間営業がある。飲食業とコンビニである。その飲食業、具体的にはファストフード店である牛丼大手の「すき家」が確か7〜8年前に閉店する店が続出したことがあった。背景は人材不足という理由からである。「すき家」の店舗運営の特徴はアルバイトによるワンオペ(一人運営)で、その労働環境の厳しさが指摘されていた。このワンオペを可能にしたのが調理ロボットなどの機械化であった。その後賃金を含めた労働環境が改善され営業店舗も増え、業績は回復したことは周知の通りである。
その労働環境、ある意味働き方を変えて行った外食、深夜営業店に立ち食い蕎麦の「富士そば」がある。東京に生活していれば知らない人はいない24時間営業の立ち食いそば店である。富士そばではその経営方針として「従業員の生活が第一」としている。勿論、アルバイトも多く実働現場の主体となっている。そして、従業員であるアルバイトにもボーナスや退職金が出る、そんな仕組みが取り入れられている会社である。ブラック企業が横行する中、従業員こそ財産であり、内部留保は「人」であると。そして、1990年代後半債務超過で傾いたあの「はとバス」の再生を手がけた宮端氏と同様、富士そばの創業者丹道夫氏も『商いのコツは「儲」という字に隠れている』と指摘する。ご自身が「人を信じる者」(信 者)、従業員、顧客を信じるという信者であるという。




日本の雇用形態に非正規雇用がある。この非正規雇用と言う経営を取り入れてきた企業に「ロフト」という会社がある。確か10数年年前になるかと思うが、生活雑貨専門店のロフトは全パート社員を正社員とする思い切った制度の導入を図っている。その背景には、毎年1700名ほどのパート従業員を募集しても退職者も1700人。しかも、1年未満の退職者は75%にも及んでいた。ロフトの場合は「同一労働同一賃金」より更に進めた勤務時間を選択できる制度で、週20時間以上(職務によっては32時間以上)の勤務が可能となり、子育てなどの両立が可能となり、いわゆるワークライフバランスが取れた人事制度となっている。しかも、時給についてもベースアップが実施されている。こうした人手不足対応という側面もさることながら、ロフトの場合商品数が30万点を超えており、商品に精通することが必要で、ノウハウや売場作りなどのアイディアが現場に求められ、人材の定着が売り上げに直接的に結びつく。つまり、キャリアを積むということは「考える人材」に成長するということであり、この成長に比例するように売り上げもまた伸びるということであった。
富士そばもロフトも業態こそ違え「人材」を人手ではなく「人財」として制度化した点にある。私の言葉で言えば「人力経営」と言うことになる。
生産性の根本は「考える力」のことである
失われた30年論議と共に、その停滞の一つの象徴として欧米諸国との比較の上で「労働生産性の低さ」が指摘されている。しかし、よく考えればわかることだが、世界でいち早く生産性の向上に向かった企業があった。周知のトヨタ自動車における「カイゼン」である。お手本は既にあり、製造業だけでなく、大企業だけでもなく、全国の企業はそのカイゼンを取り入れていた。私が16年前に取材した和菓子の叶匠寿庵においても既に取り入れていたことを思い出す。
カイゼンの最も大きな特徴は、現場で労働に従事している人を中心としたボトムアップにある。カイゼンを会社全体の「運動」として位置付ける企業が多かったと記憶している。前述の事例として「すき家」と「富士そば」「ロフト」を取り上げたが、これも時代に沿ったカイゼンであると理解している。すき家の場合、調理器具などの機械・ロボットなどによる省力化をベースとした現場経営であるのに対し、富士そばやロフトは人を生かす「人力」による現場経営となるが、この2つの経営は対立する別個のものではない。労働環境そのものをカイゼンすることにおいて共通しており、つまり目的は生産性を上げていると言うことだ。特に現場の生産性を上げるための工夫として行われているのが、富士そばである。現在も行われていると思うが、店長にはオリジナルメニューを開発する権限が任されており、新メニューも生まれている。例えば、かなり前になるが2つの定番メニューを合わせた「カツ丼カレー」を食べたことがあった。食べた感想であるが、他のセットメニューの方がいいなと言うのが当時の率直な感想であった。つまり、現場の従業員の力、やる気、発想力を引き出す小さな仕組みということである。ボトムアップのための一つの方法であるが、カイゼンの根底には「考える力」があることがわかる。勿論、結果カイゼンによって総労働時間の短縮が生まれたことも事実であるが、最も重要なことは「考える力」を根底においた経営を構築するということに尽きる。
デジタル化、IT活用、更にはAIの活用もこの考える力をどれだけ引き出せるかである。単なる人手であればロボットを使えば良いのだ。こうした人手に頼った経営は終わりにしなければならないということだ。
「考える力」とは現場ならではの課題である。今から20年ほど前、「力」ブームが起こったことがあった。現場で「力」をどう引き出すかという試みであったが今日まで継続されたシステムとして運営されている企業はほとんど聞いたことがない。どの企業も停滞した市場を開拓する取り組みをしていると思うが、第二の創業を掲げる無印良品は中期計画の中で「地域事業部制」を取り入れると発表されている。その地域事業部制とは住民や行政と交流・連携をしながら生活圏への出店を推進して、地域密着型の事業モデルを確立するとある。かなり前から「食品」への取り組み、特に店舗によっては生鮮食品にも取り組んでいることの延長線上にあるものであると理解しているが、その根底には「考える力」が不可欠となる。良品計画の歴史を見ていくとわかるが、1990年代デベロッパーの要請により大規模スペースに品揃えの拡大。結果、多大な在庫を抱えて経営が窮地に陥った時期があった。こうした規模を追い求めた経営から、「地域」という小さなコミュニティへビジネスを目指すという。例えば、道の駅への出店もテーマに上がっているようだが、どんな地域貢献を行うのかその「考える力」を見てみたい。
「離れ世代」が明日を創っていく
コロナ禍の1年8ヶ月考えることのほとんどがどのように感染を防ぐかであった。それは同時に政治も行政も、TVなどでコメントする感染症の専門家も、医療従事者も、いや社会に生活するほとんどの人々の価値観、生き様すらコロナ禍を通じ見えてしまった。その中で最も誤解、いや偏見で間違えてしまったのが若い世代、もう少し正確にいうとミレニアム世代の行動であろう。所謂、感染の拡大の中心人物は「若い世代」とした犯人説である。コロナ初期段階の「罹っても軽症もしくは無症状」という情報を背景に、その行動力、行動範囲の大きさから感染を拡大させたであろうという説である。確かに感染者の半数近くが30歳代以下というデータが示されているが、その「行動」によって拡大したという根拠は一定程度確認されているが、少ない事象で全体がそうである、犯人とすることにはならない。マスメディアTVメディアの報道はそうした少ない事象を報道することによって若い世代があたかも犯人であるかのような「イメージ」が作られていく。コロナ禍の初期、感染犯人説の一人に「パチンコ店」が挙げられ一斉に非難したが、実はクラスターは起きてはいなかった。TVメディア自身が風評を撒き散らした事例である。そして、コロナに関する情報が若い世代には伝わっていないのではないかと言った議論が巻き起こる。ワイドショー的感染症の情報は伝わることはないが、少なくともネット上の感染情報については十分得ている。ただSNSによる誤った「仲間内情報」もあり、それは「大人」も同様である。1年以上前から誤った「若い世代理解」についてブログを通じ次のように指摘をしてきた。
『今や欲望むき出しのアニマル世代(under30)は草食世代と呼ばれ、肉食女子、女子会という消費牽引役の女性達は、境目を軽々と超えてしまう「オヤジギャル」の迫力には遠く及ばない。私が以前ネーミングしたのが「20歳の老人」であったが、達観、諦観、という言葉が似合う世代である。消費の現象面では「離れ世代」と呼べるであろう。TV離れ、車離れ、オシャレ離れ、海外旅行離れ、恋愛離れ、結婚離れ、・・・・・・執着する「何か」を持たない、欲望を喪失しているかのように見える世代である。唯一離さないのが携帯を始めとした「コミュニケーションツールや場」である。「新語・流行語大賞」のTOP10に入った「~なう」というツイッター用語に見られる常時接続世界もこの世代の特徴であるが、これも深い関係を結ぶための接続ではなく、私が「だよね世代」と名付けたように軽い相づちを打つようなそんな関係である。例えば、居酒屋にも行くが、酔うためではなく、人との関係を結ぶ軽いつきあいとしてである。だから、今や居酒屋のドリンクメニューの中心はノンアルコールドリンクになろうとしている。』
今回の衆院選挙でも明らかになったが、若い世代の「政治離れ」もこの「離れ世代」に付け加えなければいけないであろう。
ところで、何故、「離れ」なのかである。戦後日本の社会経済を登山に例え、バブル期までを登山、バブル崩壊以降を下山としたが、そうした日本を創ってきたのは「大人達」である。極論を言えば反発こそないが、どこかよそよそしい社会、鬱屈した社会であったと思う。かなり前になるが流行語大賞にもなったKY語に社会的注目が集まったことがあった。KY語とは「仲間言葉」である。前回の未来塾でジブリ作品「となりのトトロ」を引用したが、その中で子供たちにしか見ることができないトトロの話に触れたが、このトトロをKY語であると理解すれば間違いはない。
実は、今年8月上旬東京では感染者が激増し、連日5000人台となり、入院できない自宅療養者が激増する。在宅療養者からも死亡する患者が続出し、医療崩壊が叫ばれた。当時、もうひとつ社会の話題となったのが「路上飲み」で連日新宿や新橋などの若い世代の飲酒が報じられた。しかし、お盆休み明けからこの路上飲みは激減し8月末には大学の再開もあってほとんどいなくなった。この危機的状況にいち早く反応したのがこの「若い世代」であった。つまり、自らリスクを回避する行動へと向かったということである。実は「伝わらない」のは伝えることをしてこなかったという「大人」の責任であり、政治のリーダー、特にマスコミ・TVメディアの考え違いにある。「大人」のロジックと方法では伝わらないということである。感染のメカニズムを含め「若い世代」は正確にコトの事態を理解している。その証左であると思うが、8月末ワクチン接種には消極的であると勝手に決めつけられた若い世代が予約不要の渋谷区のワクチン接種会場に多くの若者が殺到し、300人以上の列を成したことが報じられた。この行列に慌てた東京都は翌日からは抽選方式に変更したがそれでも隣の原宿駅まで行列は伸びた。若い世代こそ、感染症というコトの本質、正しく恐るををよく理解しているという証左である。
実は「伝わらない」のは伝えることをしてこなかったという「大人」の責任であり、政治のリーダー、特にマスコミ・TVメディアの考え違いにある。「大人」のロジックと方法では伝わらないということである。感染のメカニズムを含め「若い世代」は正確にコトの事態を理解していると考えることが必要である。それは昨年3月以降の報道を始めメディアを通じて流される情報・内容の変化、若い世代にとっては情報の「いい加減さ=実感を持ち得ない理屈だけの言葉」に「大人」は気づいていないという断絶があるということだ。ロックダウン論議を含め、人流抑制が感染防止には不可欠であると感染症の専門家は提言し続けてきた。8月のお盆休み以降人流は増加しているにもかかわらず、反比例するように感染者は激減した。真逆の結果について納得できる根拠、科学的な理由は聞いたことがない。
若い世代にとってコロナウイルスの本質は季節性インフルエンザとまではいかないが、彼らにとって「恐怖」としてのパンデミックではない既知のウイルスに近い認識を持っている。しかし、感染しても入院できない状況になり、そうしたリスクが迫ってきたと感じれば、即回避へと向かう極めて合理的な思考を持った世代である。
[離れ世代」が主役になる日
前回の未来塾で「新しい生き方」が生まれた地雷としてミレニアム世代におけるFIREというのは文字通りFinancial Independence『経済的自立』とRetire Earlyという『早期退職』のグループについてその合理的生き方について書いた。「離れ世代」が唯一執着したことの一つとして「貯蓄」を挙げてきたが株価の上昇という時代背景を踏まえた貯蓄の進化系である。
この新しい生き方に触れた時思い出したのはフランスの経済学者トマ・ピケティが書き世界的なベストセラーになった『21世紀の資本』であった。恥ずかしい話であるが当時翻訳本を店頭で手にしたが、あまりの膨大なページ数から購入はしなかった。その内容であるが、経済専門家による解釈によれば、資本収益率は経済成長率よりも大きい。資本から得られる収益率が経済成長率を上回れば上回るほど、それだけ富は資本家へ蓄積される。そして、富が公平に再分配されないことによって、貧困が社会や経済の不安定を引き起こすという内容である。ピケティの研究の出発点は、米国でトップ1%所得者の所得割合が最近になり急速に上がったことを示した点に着目したことにある。出版後「1%の諸劇」という言葉と共に多くの人に知られるようになった。
ミレニアム世代、特にFIREグループは平易にいうならば「お金がお金を生む、その生産性の方が労働することより高い」と実感しているのだと感じたからであった。私が合理主義者と呼ぶ理由である。但し、若い世代が全てFIREグループのような価値観を持っているわけではない。その本質は多くの人が指摘するように変化ではなく、安定を求める世代である。「昭和」が「貧しくても夢があった」という幸福感との比較で言えば、「そこそこの豊かさと安定があれば」という価値観であろう。ビートたけしの「横断歩道、みんなで渡れば怖くない」になぞって言うならば、「令和時代、離れ仲間と渡れば怖くない」となるのであろうか。ある専門家の指摘によれば、10数年後競争力のない産業だけの日本になり、国内の仕事は減少し、中国に出稼ぎに出かけることになるであろうと。それもまた「合理主義的思考」の結果なのであろうか。そんな日本は望まないが、いずれにせよ、近未来離れ世代が日本の主役になる。
この世代、無名の人々がどんな合理的な「コト起こし」を始めるか、下山の途中からはまだその芽には出会っていない。コト起こしとは「既成」と戦うことでもある。その戦いの中には仲間内部の衝突もあるであろう。一つのアイディアが具体化するにはある意味戦いの連続となる。ミレニアム世代やその下のZ世代も衝突を嫌う優しい世代である。離れ世代が時代の主役になるとは、それまでの気のいい、愛想のいい、そんな人間から変わらなければならないということである。彼らが一番嫌う「協調」や「妥協」も是とすることもある。それまでの仲間社会も変化して行くこととなる。仲間と言うより新しい「コミュニティ」が作られると言うことだ。新しい考え、新しい価値観による共同体を目指すこととなる。いずれにせよ「大人」という重しが社会からなくなって行く時、「離れ世代」はその仲間社会から離れ、次のコミュニティ社会へと変化して行くこととなる。私の知らないところでコト起こし登山途中であることを期待したい。




ところで今年の新語・流行語大賞が「リアル二刀流、ショータイム」に決まった。この1年間重苦しいコロナ禍にあって大谷翔平の活躍に一喜一憂した。 スポーツ紙を含め多くのことが語られてきたが、大谷翔平(27才)」はまさにミレニアム世代の一人である。少し前までは二刀流の危うさを指摘しどちらかに集中すべきとの論議が日本では圧倒的であった。シーズンを終え日本に戻ってきての記者会見で、その二刀流について米国の方が好意的に受け入れてくれたと語っていた。2度の手術、挫折を乗り越えての活躍であったが、「既成」との戦いが続いていることがわかる。米国ア・リーグのMVP受賞よりもチーム・エンゼルスが勝つことに喜びを感じているとも語っている。私の理解ではチームとは大谷翔平にとってのコミュニティであり、最早「離れ世代」ではなくなったと言うことだ。そして、来季に向け「既成」との戦いが始まっていると語っている。(続く)





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