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カテゴリ:国際問題
あの坂道で大勢の若者が集まり、倒れ込んで死んだ事件だが、今でも遺族に寄る国家の究明行動が続いている。 だけど、ハローウインで若者が自然発生的に集まり、主催者の居ない雑踏事故なのに、国家の責任だろうか? どうも私は遺族の遣り過ぎと感じて成らない。気持ちは分かるが、どうも行き過ぎの感が拭えない。 韓国人は一般的に、何事も厳しく追及する。私が言いたいのは、反日運動もその一環の感がして成らない。 やり玉に挙げる事件はもう戦前の大昔の事であり、今まで何度も日本が謝罪を表明しているのに、何時までも終わらない。いい加減にして欲しいものだ。 隣国と何時までも喧嘩し、仲が悪いままでは、お互いに幸せを追求出来ない。隣家と喧嘩していてはお互いに幸せ感が少ないのは誰も同じだろう。 だから或る所で、水に流す行為もお互いに必要な場合もある。だけど「水に流す」なんて韓国に無いのだろう。 だけど、加害者側から言うのも変で、被害者側から言って欲しいものだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.05.02 05:59:14
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