認知症フォーラムに参加したが、
常々、自分の物忘れで、悩んでいたから、11月11日、高知市内で開催された認知症フォーラムに参加した。 だけど認知症の話を色々聞き、何となく別物と思った。私の物忘れはお年寄りなら、大勢の人が成る単なる物忘れかも知れない。だけどその時に感じたのだが、認知症に成り始めると、色々な症状が出るが、若年認知症は別として、老齢なら、自分の口で食事が出来なく成ったら、どうして点滴を受けさせるのか、私には分から無かった。これをチャンスにk痛み苦しみを感じない様にして貰い、死んで行くべきだと思ったのです。治療とは一秒でも長く生きさせる事の様だが、誰でも、どんな条件でも生きて居たい訳では無い。私は自分の口で食事が出来なく成れば、そして死の苦しみを感じないなら、それをチャンスに死にたいと思っている。人生には長い短いは有るが、どうせ死ぬのだから、死の恐怖を感じないなら死んだら良いのでなかろうか。 私が子供の頃は、食事が出来なくなると、50日位で死んでいた。それが当然と思うのに、今では点滴を受け、生き永らえる。若いならそれは当然で良い事だが、80歳過ぎて居れば、もう死んでも良い年齢だと思う。 誰もがそんなに長生きしたい訳ではない。ヨーロッパやアメリカでも、自分の口で食べられなくなると、死んで行くのか当然の常識がある。日本はどうも違うようだ。しかも安楽死の是非問題は相談もやらせない社会で、どうも不思議だ。 認知症フォーラムです。