勢力図
高野山を奥の院に向かって歩いて行くと、この現実をまざまざとみせつけられる思いです。どうもいけません。何回行ってもいけません。高野山もここまできてしまったな~との思い、禁じえません。何人かの人達の言っていた霊界戦争の凄まじさというやつでしょうか。弘法様が天下国家の事で忙しいから個人的な事はとユウメイ上人や長南年恵さんを遣わされた頃と七年くらいでしたか、笹目仙人が山で断食祈祷された頃とが合致。そういえば、金光のおじいさんが大山が崩れたと言われた仙境の話もその頃。しかし、紅卍もあの頃から分裂騒ぎあって、道教だとてもう腐ったといわれたのでした。根を張りましょう!いや、竹のように柳のようにしなりましょうかな~~ =====================================金儲けというのはそこに『差』があることなのだね~という話をある人とよくした。仕入れ値と売り値に『差』があればあるほど、そこに金儲けのチャンスが産まれる。しかし、世は信用創造が罷り通っていて、今や信用創造なくしては一歩も歩けない世界である。つまり信用創造の上に成り立つビジネスこそが本当の富みを得る道だ。多くの者は皆が金持ちになればいいのになんて淡い幻想をいうけれども、そんな馬鹿な話は天地がひっくり返ってもありえない。札をどんどん製造し一時凌ぎはあるけれども、それは基本的な話ではない。私の財布から金が減れば、その金はどこかで増える。要するに世界の金は不増不減が基本であり、金は本来はまわり者の筈。しかし回らないのである。そして見せかけの、実は安物の繁栄をもっともらしく歌うのである。一番多くを稼ぐものは昔からペーパー業者だと相場は決まっている。だから疎まれる。それは決まっているから巨万の富を得たい者は間違っても製造業なんかに手を出してはいけない。在庫かかえる商売に手をだしてはいけない。それは恒久的な富の得方ではない。富とそれを認識間違いしてはいけない。ペーパー業者が製造販売などに手を出すが、それは本業ではなく、どんなに大きくなっても、あくまでサイドビジネスだ。信用創造は信用が命だから、国家を動かしても多大な信用を得る必要がある。そして、多くの人らの信用創造の上に得た富みで実物を買う。いつの世も賢いものはそうする。腐らない実物。腐っても鯛という実物。デフレかインフレかという議論がバブル崩壊の失われた十年にあった。上の方の者にだけ通用する馬鹿な議論だったが、今となっては新スタグフレーションなんて言って騒いでいる。自分達が演出したがったインフレの癖にだ。ものが高くなって得をするのは誰か?安くなって得をするのは誰か?「はは、彼らは高くなっても現物もってますし、安くなってもヘッジかけてますし・・・」「はは、そうでした」