故知らず・・・
私はどういうわけか海は日本海が好きだ。古代の琵琶湖は今の琵琶湖と全然違う事は、文献上からも明らかだが、琵琶湖に心惹かれるということはない。多分あくまで日本海なのだ。海を好きというは正しくは海に乗り出すことが好きという事であって、山が好きとは本来山に登るのが好きなことを意味する。ただ見ているだけならおおかたの者は海だって山だって好きに違いない。私は日本海を眺めるのが好き。日本海沿いの浜辺を歩いた記憶が好き。そうして、丹波、近江が好き。子供の頃から好きだった丹波は・・・決して何かを知っていたわけではない。ただ『金時さん』という物語を読んで、猪の出るというその地に心惹かれたのだ。大阪駅で<丹波篠山行>という、まだ飛び乗りの許されそうな時代遅れの電車を見るたび、いつか行こう、いつか乗って行ってみよう・・・と。憧れは胸をこがした。。。その時分の子供には、それは北海道に行くくらい遠い所への旅のように思われた。そのように子供の頃ではないけれど、いつ頃からかーーー故もなく近江に心惹かれた。私は古代史にも天皇にもなんの興味もなかったけれど、近江高天原説があると知った時は、わけもなく喜んだ。だから、司馬さんも子供の頃にそういう他愛もない歴史の本を読んで、晩年になってもまだ近江行きに心躍らせたことを知って、なんだかとてもこころ弾んできてしまった。近江商人の事は、二十年ほど前、某先生の講演会の頃にだいぶ読ませて頂いた。大阪での第一回経済講演会をお世話したのだから、ちっとは勉強せねばと思ったのだ。近江商人に特に心惹かれたわけではないけれど、そういうものを読んでいると、近江八幡がつどつど登場したので、またまた故なき懐かしき想いに、小さな子を二人かかえて、馬鹿と言われつつ、誰も通らない増水気味の川の傍、野営し、指の骨は折れたまま御在所まで登ったのだった。後に息子は気がつけば近江八幡まで学校に通わねばならなくなり、また気がつけば亀岡まで行かなければならなくなり・・・と、運命の面白さはこういうところにもあろうか。それから十年もたった頃、着の身着のままで出かけた燕で甲賀出身の女性と出会い、息子はその人にえらく気に入られて、ずっとつきあって頂いた。私は大石凝のどこかの丘から見えるという水茎文字にひかれていて、大石凝の墓があるとされる所や、椿大神社の近江まで続く壮大なスケールの高天原地図にもひかれていた頃だったので、その女性からのいただく便りを心待ちにしているときもあった。その<いただく>という言葉は近江商人・近江門徒から出ていると、今、知った。他力の思想なのだそうだ。そうだ・・・関係ないが・・・今朝、弘法様の夢を見ていたのだった。「おまかせするんです・・・」と、そういう夢だったけれど、他力の・・・生かされている思想だ。きょうはアトピーも手伝って、お岩さんみたいで、目もうまく動いてくれないから、頭の回転も悪いのか、途中で何を書いているのか分からなくなっている。そうそう近江には品のいい家が多く、その中に外山繁の家もあるとか・・・で、思い出した。今頃思い出すなんて迂闊だけど、外山繁の親戚ではないが・・・という外山氏なる人物が、外山繁の年譜を作っていて、何かの本の時手紙をいただいたかなにか、そういう事があった。外山繁は近江のちょっとした家の人だったのだ。癌で入院していた病院で撮ったストローでビールを飲む写真があるのだとか。他力。絶対他力。生きる。生かされている。近江。中江藤樹に見る<退隠>の思想。退隠。若きを生かす。ホツマ最初のアヤはこの近江で見つかったのだ。<あめのみかげひのみかげ>が私に分かったのはつい最近のことだけど、ま、故ある・・・近江なのだ、多分。