のちのおもひに・・・
今年もまた、船場育ちのこいさんが下さった水引草が、所かまわず生い茂ってきた。生きてる限り忘れることとてない水引草への想い。昔々・・・森を歩きながら、その頃好きだった道造の詩を朗読した。どこにでもついて来たがる人は、なんでもすぐにねだる人で、片恋こそが真実の恋だと言って、屈託なく笑ったりしょげたりするその人の為に覚えたての詩を朗読しながら二人して森を往った。ある箇所で突然、その人は大きな声で笑った。 いや、いい。すごくいいよ。 は、は、は、は。私はなんだか馬鹿にされたようで・・・黙ってしまい、今ではその詩がなんという名の詩だったか、もうまるで思い出せないでいる。私はつい何年か前まで、好きな人の方へまっすぐに歩いて来る人、なんのてらいもなくニコニコ笑える人のことが全然まったく分からなかった。嫌われたと思ったらご飯も食べないほどうつろに歩く人の事が全然分からなかった。その頃、私は『夢みたものは』を五線譜に書いて歌った。♪願ったものは ひとつの愛 夢見たものは ひとつの幸せそれから・・・・それからも二三年は道造を朗読し続けた、『のちのおもいに』を懐かしそうに、眼鏡をはずして朗読したあの人に出会うまで。夢はいつもかえって行った 山の麓のさびしい村に水引草に風がたち草ひばりのうたいやまないしずまりかえった午さがりの林道をうららかに青い空には陽がてり 火山は眠っていたーーーそして私は見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光をだれもきいていないと知りながら 語りつづけた・・・・・夢は そのさきには もうゆかないなにもかも 忘れ果てようとおもい忘れつくしたことさへ 忘れてしまったときには夢は 真冬の追憶のうちに凍るであろうそして それは戸をあけて 寂寥のなかに星くずにてらされた道を過ぎ去るであろう