愛されなかった子どもの話
愛されない子どもは いつまでも さびしい小さな子どもを心にもつことになるおとなになっても 小さな飢えた子どもを心にだきしめている私の母は、時々あの世のどなたかと話をしていたから、今に生きていればシャーマンなんぞになって活躍したかもしれないが、どう表現したものやら、実に困った大変な夫が大黒柱ではなにもかもが無残で、母のあらゆる能力も体力も、その一生は子供の為だけにあったように私達には感じられた。死んでも生き返ったことは何回か。心電図の針動かず。それだのに脳が生きてるなんて現象は今でこそわかるが、それでもその頃でももう私達は母が自分で死ぬというまでは死なない人なのだと、その生命力みたいなものを信じていて、心停止したと医者から知らされても、「母は死ぬと言いましたか?」などと、慌てもせず騒ぎもしなかった。母は弟が二十歳になるまでの命乞いをあの世のどなたかとし、死ぬ約束もそのどなたかとした。最後の薬は全部捨てた。許されて、念願通り、自分の家の自分の布団で微笑んで死んだ。私は誰よりも母の傍におかれ、誰よりも沢山母に従い、誰よりも沢山母の話に耳傾けたが、あの世の話だけは好きではなかったから、遮った・・・ついに一度も聞かなかった。一度くらい聞いてみればよかった、「一体誰と話をしてるの?」母は私がもの心ついた頃言った。お前が男の子だったら良かったのに。腹の中にいた時は男の子だと思ったのに。出てきた時何回も何回も股を広げてみたもんや。母は十歳の時にも言った。お前が男の子ならどんなに良かったか。十五の時にも言った。十八歳の時にも言った。お前が男の子やったらどんなに良かったか。ため息のように言った。ごめん、ごめん、ごめん。男の子になるから。それはいけない。女の子でいなくちゃ。そしてちゃんと嫁ぐのが一番。でも、まー、私は女の子で良かったと、その頃も思っていた、大抵の時は。母にも当たらないことはあった。猫の子を見ていると母の予感が外れた理由がよくわかる。でも、そんなシャーマンもどきの母の言葉だったからだろうか、すぐ上の姉は母から幼少時に言われた言葉が自分を呪縛して来たのだと今なお言う。あの人は見える聞こえる人やったから!と、今なお恨めしそうに言う。そうだろうか?見えなくても、その子の立ち居振る舞いを見てその子の将来を予言、予測、危惧するなんてことは母親にならよくあることじゃーないか、と私は思うが、姉の心の傷はどこかふさがっていないようだ。姉が母の信頼を得られなかったは致しかたないことだと私なんかは思うけれども。母が好きで好きでしようがないから、好きで好きで仕様がない人にほめられたかった、抱きしめてもらいたかった。。。カッコーの娘達にあるじゃーないか。母親に愛されなかった子供は、いつまでも、死んでも、母親が抱きしめてくれる日を待っている。