あの日も寒かった
夜寒い。明け方はなおさら。猫たちが我が蒲団で寝る日が続く。私がいよいよ寝ようと灯りを消すとチビ子は相変わらずフミフミをしてから私の顔の上で寝ようとする。チビ子は顔が見えないのを嫌がるのだ。顔の上だから私はとても寝られない。私は太閤を思い出す。太閤はいつも大人しく部屋の隅で、私がすっぽり蒲団にうずくまるのをみつめていた。私がおいでというとそろりそろりと歩いてきて蒲団に入ってお腹の上に寝そべった。おまえは重たいねと言うと、すぐに下りて、頭だけ腹の上に乗せて寝た。一回言ったら、その次からは言われずともそうした。そういえば、拾ってきた一日目、じゅうたんの上でおかしな素振りをしたので、トイレはここだと教えてやると一回で覚えた。何かにつけ不器用だったから気付かずにいたが、本当は頭が良かったのだ。最後が近づいてきたのを自分でも感じていたのだろう出来事があった。猫は病気や怪我の時は一人離れ、自分だけで治癒させる、らしい。餌も食べずにいるから時折見には行ったが決してこちらには来ようとしない。エイズだと知っていたのだろう。そこからトイレまでは病気の猫には少し遠い。私は気が利かずトイレはそのままだったから、太閤は歩いてきた。その歩みが痛々しいほどのろい。そしてとうとう間に合わず、少しだけ粗相をしてしまった。私は、いいよいいよ、と言ったけれど、太閤は私を見て、そして俯いた。その顔が忘れられない。私が寝るのをじっと待っている姿と、その時の顔を思い出すといつも悲しくなってくる。太閤が車の下に飛び込んできたのは十二月の寒い日だった。コンクリートしかないような場所に人間の誰かが捨てたのだ。幼い猫は保身の為、怖いことがあると汚い大きな声でないた。本当はものすごく優しい可愛い声だのに。寒空に仔猫捨てられるのはいったいどんな人間だ?そして私は、なぜ、あんなにも私になつき、私を慕ってくれた猫なのに、雄だから雌をおっかけて家族を持って、そのほうが幸せに違いないと思い込んでいたのだろう。太閤を思い出すと、いつも悲しくなる。