食事の恐怖
お殿様もどきの父親の御膳は一人用で、言わずもがな上座に。その他の家族は大きな丸い食卓に年の小さい順番に座った。そうすると妹はいつも父に背中を向けて座ることになって、妹はいつも歯をカタカタさせて、箸を持つ手もカタカタ震えて、少しずつ少しずつ体を私の方にすり寄せて来た。私はというと、それを父に見つかると茶碗が飛んで来そうなので、すり寄ってくる妹を足で制した。父は行儀には非常に厳しくて、特に箸の持ち方、茶碗の持ち方など、食事のマナーにはうるさくてコワかった。何年振りかで妹に会った時、妹の食事の仕方が今でも普通でないことに気付いた。きちんと座って大勢と、或いは誰かと一緒に食事をすることが苦手なのだ。食べることはずっと年をとるまで大好きだったはずだが、一人で隅っこで黙って食べる方が好きな様子は変わっていなかった。夕べ、急にそういうことを思い出して、私ももしかすると妹と似たり寄ったりなのかもしれないと思った。テーブルにズラ~っといっぱいの料理が並んでいたりすると、みるみる食欲が減退していくのが分かる。旅館でも一品食べ終わるとまた一品運んでくれる旅館以外はあまり嬉しくない。考えてみればしかし、子供の頃の食事時の恐怖は、暴君だった父への恐怖で分かりやすいが、若い頃にはそれはもっと別の恐怖、今度はある種の嫌悪感に変わったのだ、多分。一等最初に思い出すのは、Sと一緒に食事した時だった。見られているのがいやでいやで、いつも食事は途中で止めた。なんとなくいつもそこで不愉快になった。次に思い出すのは天王寺のおいしい寿司屋さん。寿司飯は好きでも魚が苦手な私は、寿司屋に行ってもさして食べるものはないのだが、そこの寿司屋は本当においしかったと記憶している。そこである人が死ぬほど食べさせてくれた。が、故に?無理難題を言われても断り切れなかった。多分そうではなかったかと思う。私は誰かに何かをただでしてもらうということがとても苦手なのだ。見返りを要求される方が気楽という考え方だったというのがある。二十歳の頃はN社長にしきりと呼びつけられるのがとても負担だった。偶然なのかどうかそれは昼食時が多く、社長との食事は喉を上手く通らなかった。それは随分長かった出張の時も同じで、呼びつけられたのがなぜ私なのか実に不可解だった。出張中は昼となく夜となく呼びつけられ、一番最後の日の食事時には、胸がいっぱいでもう喉を通りません、と言わねばならなかった。思い出せばまだある。毎晩立ち寄っていた店をママが畳んだ何日か後、マスターが駅近くで待っていたのにはびっくりしたが、マスターは大好きなママの夫だったから何も思わず、食事に行こうという言葉にも何も思わずついて行ったのだったが、その店には肉料理しかなくて、マスターがどんなふうに私を思っていたか私は知る由もなくて、何時間か後、私は救急車で病院に運ばれた。姉たちは私が食べ放題の宴会に行かないことに不満があるかもしれないが、たとえ家族でも大勢で食事をすることにさして意味があるとは思えない。が、しかし、若い子たちとよく一緒だった頃は、皆で食事をすること。それが結構大切なことなんだと思ったもんである。食べない私と一緒では遠慮して食べられない娘たちもいたようで、それは申し訳ない気持ちになったもんだった。人は食べながら繋がっていくのだろう。その点、お酒はいいと思う。あれは誰かがいるほうがいつまでも飲める。お酒は人と繋がりやすい。