花束の思い出
森山良子さんの♪赤いリボンの花束にして~~という曲が流れている。レコードは持っているがYouTube で聞く。わけもなく時折思い出す曲。韓国ドラマなんか観ていると、あの国の男性はよく恋人に花束を贈ること。あの国の愛の表現はいささかオーバー過ぎて好きではないが、花束は良いな~と思う。私は花束を貰ったという記憶がない。記憶がないのだから貰ったことがないのだろう。それは少し残念な気がする。しかし女の子からは貰ったことがる。まだ二十歳にもならない頃。夕方、同僚の女の子数人が私のデスクの前に立って、仕事が終わったら喫茶店に来てくれませんかと言う。私は女子は苦手だから逆に女子からのお誘いは滅多には断らない。出来るだけ親切丁寧に接する。行ってみると何のこっちゃ。ショートカットの明かるげな女の子が私に花束をくれたのだ。好きなんですと言われても、どういうふうに答えればいいものか。今でいう女子会みたいなものか、キャイキャイ喋りまくる女子たちに囲まれて、ただコーヒーだけ飲んで帰ったことを覚えている。しかしあの女子はじきに会社を辞めたんじゃなかったか・・・なんの、どんな花束だったのか覚えてもいないが、その女子の顔は今も覚えている。そういえば、今はもう仙台に帰ってしまったけれど、京大出の秀才のおじさんに、なにこちらもおばさんになってからだけど、小さな花束を貰ったことがある。躁の時はやたらくっついてくるおじさんで、夜中まで電話をかけてきたりしていたが、とある日、花でも贈りたいけど何の花がいい?なんて聞くから、そりゃ野に咲く花が一番でしょう?お金もかからないしと答えると、次の日、どこかの公園ででも採って来たのか、白っぽい小さな花束を持って現れた。私がバナナを差し出すと、椅子にチョコンと座って子供のように大人しく食べた。その姿が可愛くて思わず笑った。あなた、ぼくを好きでしょ?と言うから、好きですよと答えると、僕ね、僕を好きな人は分かるの。だってすぐに笑うんだもの。と、子供のように嬉しそうに喋った。ほとんどの男性は可愛い。大人になっても、おじいさんになっても子供みたいに可愛い面を持っていると私は思っている。それは女性よりはるかに。しかしかくいう私も、付き合うと、お前、子供みたいね、などと言われてしまうから、人間は大抵子供のまま大人になるんではなかろうか。追伸今年の正月、たまにあう躁鬱病の女性から花束をいただいた。花束だけでない、まー彼女からはいろんなものをいただく。年はとっているが、おんなのこなのだ。