時には母に抱かれて眠るように
ヨガナンダ師に「神よ神よ神よ」という詩がある。あなたと別れる朝・・・というところを一等最初に読んだ時、子供の頃の、また若い頃の目覚めの、大いなる不機嫌さの原因がよく分かるような気がした。年を取っても、話ながらでも、すぐに寝てしまう妹の寝顔はいつも幸せそうだ。いつでもどこでも寝られる者は竜馬のように大人物だと聞いたことがあるが、異様に怖がりの妹に大人物の風情はない。話の途中ですやすや眠ってしまう妹に半ばは呆れつつも、いいじゃないの、幸せならば、と思う。私のように幼稚園の頃は昼寝の時間が苦手で、眠っているふりは苦痛で、年を取っても、同じ部屋では、最後の一人が眠ったと知るまで寝られないような者には、妹のような安らかな寝顔は見ているこちらも幸せになる。そうだった。yosiyukiさんは、死後の釈迦は太古の記憶に眠る、だか、太古の記憶に住むだったか、そんなことを言っていて、それはそうだと思った。その時、自分の夢はもしかしたら母の胎内で眠り続けることなんではないかと思った。そこには永遠の幸せがあるように思えた。妹ももしかしたら母の胎内にいるかのように眠っているのかもしれなかった。