全ては〇チョンの話
随分久しぶりに「カムイ伝」を読んでいる。二部の方。カムイ二部は既に絵柄が白土さんでないし、登場人物の顏が皆似たり寄ったりで判別しづらく、一部がなかったらとても読まなかっただろう。幸いなことに今となっては内容なんか全部どこかに吹っ飛んでいるので、全く知らないものを読んでいる気分である。しかし相変わらず例えが動物から入る話は多いし、人らの営みも残酷だし、解説も漫画とは思えぬほど詳しい。今や目が悪くなった私はいい加減に行をずらすことも多いのだが、この漫画の特徴で実に文字が多い。昨日、Youtubeで風花さんという人が百田尚樹のものを底が浅いと言っていたけれども、まー読まずともまさにそう思うから私は百田さんなんか手にも取らないのだけれども、こちら漫画としては深すぎでないの?年を取ったからか、手塚治虫のようにもっと漫画的に描けばいいんでないの、なんて思ってしまったことだ。話変わってその百田尚樹が創った日本保守党。お笑い劇場みたいな百田Youtubeは見る気はなかったけれども、安田種雄さんの不審死事件のことを見ている時、うっかり百田さんのものも見ることになって、続きで見ていたら新しい政党を創るって話で。私は百田さんが何か出来るとは思わないけれども、風花さん言っていたように自民党を割ることは出来るように思う。本来はこれを自民党内部から割る、所謂これが本当の維新。本来の日本の姿だろうと思うのだけれども、全員が腐りきったような党では所詮無理な話で、そこで日本保守党だったのだろう。風花さん言うように百田さんには弱者に寄り添うという姿勢はない。しかし百田さんは血も涙もない人には見えないし、日本丸の行き先を示したいのだろうから、それはそれでいいんじゃないの?皆が皆、太郎のようでなければいけないということはない。一郎のようにとにかく政局でもいいわけだ。なぜといって、政策なんていうものは遠い未来のものもあれば、すぐやらねばならないものもあるし、人間であれば誰でも色んな要望もやらねばならないこともあるし、政権取った側は好むと好まざるにかかわらず、様々な問題が俎上に上がるのであり、それに真摯に向き合うは当たり前のことなのである。それが出来ていないから政権批判があるのである。私は太郎は近年にない行動力のある良い姿勢の政治家だと思っている。国会議員に障害者を送り込むなど、ああいうのは本当は間違いなんだぜと私は思うのだけれども、岸田とは大違いである。弱者というものの捉え方。差別ということの考え方。こういうことは大いに誤解を招くことだから、私はいちいち分かりそうもない者達に自分の考えをいうことはないが、全てはマルチョンの神さまの話だ。