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ひよきちわーるど

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2006.02.22
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カテゴリ:歴史
この2月最後の日 
網干にあります「不徹寺」に行って参りました。

せっかちなものですから
「行こう!」と思い立ちましたその5分後には
さっさと身支度を整えまして車の中へ。

地図を片手に1時間ほどかけて行って参りました。



なんと驚きましたことに
我が家から「不徹寺」へは車でほとんど1本道!

所要時間1時間のうち
55分間はひたすらまっすぐ走っていればよかったのです。

これにはちょっと驚きました♪
方向音痴の私にはとても有り難いことです。



それでも最後の5分間、迷いに迷いまして
ひよきちお決まりのコースである「ここはどこでしょう?」発言を
地元の方々に連発してしまったわけです(笑)。

網干「龍門寺」近くの皆様方 誠に申し訳ございませんでした。
本当にありがとうございました。






・・・ようやく到着致しました「不徹寺」。

門をくぐりまして境内を見つめておりましたら
なんとお忙しいご住職がお声をかけてくださったのです。





「蜩や捨てゝ置いても暮るゝ日を」


田捨女のこの句に惹かれて
「不徹寺」に参りましたことをお話し致しましたら
ご住職が境内のいろいろなところを案内してくださったのです。

座禅の修行をするところにもお連れくださり
その中の様子も見せてくださいました。





境内に掲げてありました
「雪の朝二の字二の字の下駄の跡」の句



そして捨女最晩年のものとされている和歌

「天も地も御蔵となりて用ゆれど尽きせぬ虚空と慈悲はひとしき」

につきましても説明をしてくださいました。





ただでさえお忙しいご住職のお手を止めてしまって
申し訳なく思っていましたのに
なんと本堂にまで連れて行ってくださったのです。

お客様もお見えになっていましたので
ご迷惑をおかけしてはいけないと再三ご辞退致しましたが
「せっかくここまでこられたのだから」と仰り
いろいろなことをお話ししてくださいました。

・・本当に感謝の思いでいっぱいでございました。





本堂の方に入らせて頂きますと 
捨女の面影を伝えているという木像が。

そのすぐ横に「奉納 田○○」と書かれてありまして
そこで初めて 捨女の子孫の方が
この平成の世にいらっしゃることを知ったのです。





お話のなかで
「捨女の直筆の書がありますがご覧になりますか?」と仰り
ご住職自ら 蔵から直筆のものを持ってきてくださいました。

掛け軸になったものと、「聴聞日記」と表書きされている巻物でした。




「聴聞日記」は、捨女の師である盤珪禅師の説法を
捨女自ら書き写したものとお聞き致しました。

この説法記録は「盤珪語録」の根本を成す貴重なもので
「網干本」と呼ばれているとのこと。

とても長い巻物でして これを書きあげるのに
一体どれほどの時間と労力とを必要としたことだろう・・・と思いました。






掛け軸には和歌が。


・・・この掛け軸の筆の跡を見ておりますと
まるで 捨女その人と
向かい合っているような気持ちになってくるのです。

その筆の跡も美しく
流麗 まことに柔らかな印象を受けました。





思えば3歳にして生母を失い
そして40代には頼みとしていた夫にも先立たれ 
後には6人もの子どもがのこされることに。

その後 子どもたちも独立した後には京の都へ。
そこで生涯の師と仰ぐ盤珪禅師に出会うことになるのです。

そして盤珪が、生まれ故郷の網干に帰るということで
捨女もその後を追いこの播州網干の地へ。

捨女はこの地にて「不徹庵」を結び
彼女を慕う30人もの尼僧とともに修行に励む日々を送るわけです。





平穏無事とは必ずしも言い難かった彼女の生涯ではあるわけですが
そのようなことを全く感じさせることのない筆の跡でございました。





幼い日に母を亡くし
一体どれほどの淋しさを味わったことでしょう。

夫を亡くし 秋も深まる庭先で萩を見つめ
どのような思いを抱えていたのだろうと思うのです。




悲しみも不安も淋しさも全て自身の心の内に包み込み
そのようなことがあったことさえ感じさせぬほどの柔らかな筆。

そののこされた文字に
捨女のつよさ、健気さを思いました。










ご住職に深くお礼申し上げ 不徹寺をあとにしまして
なお胸にあるのは捨女のことです。




元禄元年正月二十七日、
尊師盤珪禅師の実妹寿清尼公の庵に招待され
多数の大衆と勤めているうちに
庵主になさせ給わんと、石門和尚と、これか、彼かと、庵号を述べ給い
二月朔日、「不徹庵主嶺雲貞閑比丘尼」と拝し奉る。

我が道号、嶺雲なれば、雲は無心にして荒き風にも戦わず、
不徹は超えたる事、その心を腰折れに詠める。





  かつらぎや 高まの山に吹く風に
          まかせてかかる嶺の白雲







300年の時を超えて
捨女・・・貞閑尼が語りかけてくださるように思いました。





―追記― 田捨女につきましては「やまとうたブログ」さまに
        詳しく掲載されていますので 
       どうぞそちらをご覧くださいませ(*^_^*)

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Last updated  2015.11.14 09:55:25
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