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ひよきちわーるど

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2006.09.25
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カテゴリ:生きていくこと

仏間に座り本棚を見上げますと ふと13歳の頃のことを思い出します。
あの頃も、自分がどう生きてよいのかわからなかった時期でした。

ちょうど自我の芽生え、思春期の頃で
自分はこれからどういう人間に育っていけばよいのか
模索し始めた頃でもありました。

・・・それから27年経ちました今
私は再び、この仏教関連の本に向かおうとしています。
この本の中に私の求める答えがあるからです。




思えば13歳の頃
自分はどのような人間になりたかったのかといいますと
「まっとうな人間」になりたかったのです。

定義なんていくらでもありますね。

私にとりましての「まっとうな人間」とは
まっすぐな人間、素直であたたかみのある人間、
そしてつよい人間でもありました。

理想はその通り掲げることはできたのですけれども
さて、どのような過程を経て
自分の理想とする人間に近づいていったらよいのかわからなかったのです。

その時、13歳なりに浮かんだ方法は
「本を読む」ということでした。

両親や信頼できる大人に相談するという方法もあったのでしょうけれど
自分の口下手、引っ込み思案な性格を考えてみますに
まずは「本を読む」ということから始めてみようと思ったのです。




・・・家中にある全ての仏教関連の本を読み進めました。
どう生きていけばよいのかと自分に問いながらの作業でした。

そうやって多感な時期に自分なりの方法で生き方を模索できましたことは
私にとりまして幸いでした。

自分の思い描いた人間になれましたかどうか
それは甚だ疑問ではありますけれど
その書物から得たものは今も私の胸に生きています。





そして今 再び「仏性について」「無明について」を胸に
書物に向かおうとしているわけです。

中学生の頃のようにただ学校に行き、そしておうちのお手伝いをして
あとは自分の世界に没頭・・・そんなふうにもいきません。
40歳の今では家事や育児、仕事をこなし その上で
自分に残された僅かな自由時間を使っての探究です。

しかも13歳の頃と比べ
仏教関連書だけはあの頃の10倍以上に膨れあがっており
一体どの本から手をつけてよいものやら途方に暮れているのです。

けれどこうも考えました。13との時と比べ
書物が多くなっているということは確かに大変な部分もあるかもしれないけれども
でも、本の中に隠されている答えはその分多くあるでしょうし
考えるべき事柄も信じられないほど多く本の中に詰まっているわけです。
・・・何だかわくわくしてきませんか♪

仏教関連の本を読むのが何故好きなのかと問われれば
人間の心の奥深さを知ることができるからと答えるでしょう。
そしてその関心の行き先は宗教、宇宙、生死と広がっていくわけです。






私にとりましてここ関西での暮らしは簡単なものではありません。

九州出身で、この関西に暮らしておられる方なら
そのニュアンスはお分かりいただけるかと思いますが
確かにここの暮らしは相当しんどいのです。
夫や夫の両親に守って頂いているからこそ暮らしていけるのだと思います。

関西の方には非常に申し訳のない言い方ではありますが
そして何もそういう方ばかりではないということも重々わかってはおりますが
言葉ひとつにしましても相当きつい。

ここ関西に13年暮らしています私が
未だに関西弁を使おうとしない理由もここにあります。
確かにアクセントにつきましてはこちらのものを使ってはおりますけれども
「あかん」「しょうもな」「ぶさいく」などという言葉は使わぬようにしています。

確かに関西弁の特色といってしまえばそれまでなのでしょうけれど
人を傷つける言葉を平気でくちにする。
その神経についていけないだけの話なのです。




そしてまた「そこまでしたらおしまいだ」ということも平気で行う。
スーパー内で、ある女性の使っている買い物カートがよそのお子さまにぶつかり
そのお子さまが泣きだしてしまう。

普通、自分の使っているものが余所のご家庭のお子さまにぶつかったら謝罪しますよね。
けれど、その女性は決してそのようなことをなさらなかった。


そのお子さまに対しその女性は「泣くな!ぼけ!」と怒鳴り散らし
「私のんがぶつかったとでもいうんか!えぇ?」と威嚇する。

その女性には3人の子どもがいてその様子をじっと見ており
その子ども達も自分の母親の真似をして
「泣くな!ぼけ!邪魔や!」と大声で怒鳴り散らしている。




無惨だと思いました。

正直申しまして私自身、こんな土地で
どうやって生きていけばよいのかわからなくなったのです。

けれどこの地で生きていくしかないのです。
仮にどこぞの土地に移ったとしましても
同じような光景が目の前に広がるだけのことでしょう。




これに似たことがこの13年間、いろいろな場面でありまして
自分自身もいやなことを言われたり、そのたびに相当傷ついて参りました。

そしてこれは自分自身気をつけなければならないと思うのですけれども
いやなことを言われたりするたびについ自分を責めてしまうのです。
自分に悪いところがあるからこそこんなふうに言われるのだと
その原因を自分にかぶせてしまうのです。

確かに自分が悪いときには非を認めなければなりませんけれども
そうする必要のない時までも自分を責めてしまっていたのです。
当然のことながら精神的に参ってしまいます。

そういうことが続いたりしますと
自分も、そして他人も嫌いになってしまうわけです。




自分自身、つよくなりたいと思いました。
勿論虚勢を張るとかそういうものではなく根本からつよくなりたいと思ったのです。

つよくなるだけでは駄目だと思いました。
でなければ 私自身、不用意な言葉で他の人を傷つけてしまうかもしれないと思ったのです。

つよくなるだけではなく
同時に優しい人間になりたいと思いました。
つよくあると同時に深い共感力を持つ自分になりたいと思ったのです。





現在40歳。
もしも幸運にして平均寿命通りに生きていけるとしましたら
あと40年以上の月日があることになります。

生きている限り少しずつでも成長する自分でありたい。
つよく優しくなりたい。





13歳の春 途方に暮れて
自分はこれからどう生きていけばよいかわかりませんでした。
光を求めて家中の仏教関連書を読み進めたのでした。




そして今、多くの思いを胸に
あの頃と同じような気持ちで書物の前に立ちつくしています。












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Last updated  2015.09.26 05:34:33
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