798487 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

ひよきちわーるど

ひよきちわーるど

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2006.11.08
XML
カテゴリ:思い出の人


時折ふと思うのです。

自分が実際に死の床につかなければ
逝こうとしている人の心はわからないのだと。
このことを、桃花さんとの出逢いによって気付かされました。



桃花さんが逝かれて もう1年以上の月日が経ってしまいました。
今でも、心残りはたくさんあります。

あの時にこういえば良かったのではないかとか
あの時にこうすればよかったとか
心残りなど数え上げればきりがありません。



今も判断しかねる「言葉」があるのです。
桃花さんがホスピスに入院なさったとき何度かお見舞いに伺ったのですけれども
彼に言いたかったことがありました。

「うちのパパと私と、桃花さんとはいつまでも友だちだから。」と。
誰が先に逝っても友だちであることには変わりはないと。
生死を超えてずっと友だちだと。

・・・最後の「生死を超えて」という言葉、やはり言えなかったのです。




確かに 桃花さんはホスピスに入院なさっているのですから
生還はあり得ないこと、頭では分かっていました。

でもね、一度は病変の消失した、奇跡を起こした桃花さんなのです。
ですから私自身、心のどこかで
桃花さんだったらこのホスピスから生還なさるのではないかと思っていました。

・・・馬鹿ですね。
やはり私は、願望と現実とを一緒に考えてしまうような人間でした。




ここから書くことは非常に個人的な考え方ではあるのですけれども
「死」という言葉を口にして良いのは やはりご本人かご家族だけだと。
友人やまわりの人は口にするべきものではないと思うのです。

お昼間は明るく振る舞っていらした桃花さんも
そのブログの中では「・・結局はひとりだ」とお書きになっていました。
どんなお気持ちでお書きになったのだろう・・と思うのです。

そんなふうに思っている桃花さんに対し
周りの者が「死」という言葉を口にしてよいものか躊躇われました。
だからこそ「生死をこえてずっと友だちだ」と言えませんでした。

今にして思えば それでも言えば良かったのだろうかと思うときもあります。
どうするべきだったのか今でも分かりません。





桃花さんが危篤状態になられ
ご家族の方から「時間の問題です」とのお電話を頂きましたとき
夫は「間に合うように早く行け!」と私に言ってくれました。

数日前、桃花さんのお見舞いに伺いましたとき
その別れ際に「また来ます。」と桃花さんに約束していたのです。
その約束を守れ!と言って夫は送り出してくれました。

私が病院に向かう電車の中でも 夫は携帯にて逐一連絡をくれました。




「何をどう祈って良いのか分からない」と途方に暮れる私に対し
夫は「あほ!泣いてどないするんぞ!」と叱りました。
「桃花さんが苦しまないように祈れ!」とも言ってくれました。

・・・今までは夫と2人、桃花さんの完治を祈って参りましたが
今となりましては「苦しまないように」との祈りに。

祈りを変えざるを得なくなりましたとき改めて
本当に桃花さんは逝ってしまわれるのだ・・・と
どうしようもない気持ちになりました。

私が電車で病院に向かう途中 
夫は仏前に座り桃花さんのことをずっと祈り続けていました。





ホスピスに着きやっとの事で病室に辿り着き
そのドアを開けました途端、先生の「ご臨終です」との声が。

間に合わなかった・・・という気持ちと
「死」という運命には誰も逆らえないのかという怒りともつかぬ気持ちと
深い喪失感と 瞬時に様々な感情が湧き起こりました。



もしも死後の生命が存在するとするならば
桃花さんは一体どのようなお気持ちでいらっしゃるのだろうと思いました。

私自身、難しいことは分からないのだけれど
とにかく桃花さんが安らかでいらっしゃるよう
そして怖い思いをなさらぬよう ただそのことを祈りました。

けれど 祈ろうとするのですが
ショックと悲しみの方が遙かにつよく祈りが定まらないのです。




生前 桃花さんが
「死後の生命?もしそんなのあったら、僕びっくりしちゃうだろうね。」
「ひよきちさん、その時には僕が安心するよう祈ってね」と
笑顔で仰ったことを思い出し なんとか必死に祈ろうとするのですが
悲しみと闘いながら祈ることの辛さを痛感致しました。

今もって桃花さんに対する心残りが大きいのも
ひとえにこの時のことがあるからなのです。

悲しみに押しつぶされて
自分は100%祈りきることができなかったのではないかという後悔の念です。






桃花さんに出逢って
私は信仰をたもつ人間としての自分を省みることができました。

そしてまた死を前にして
あれほどまでに優しく強く生き抜かれた桃花さんの姿に学ばせて頂きました。

桃花さんがお亡くなりになり
この「ひよわーるど」もそして私も変わりました。

「自分とは何者か」「自分は何の為にこの世に生きているのか」を考えるようになりました。








人と人との出逢いは
一体どういう意味を持つものだろうと思うのです。















お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2015.09.05 23:11:02
コメント(2) | コメントを書く
[思い出の人] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X