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ひよきちわーるど

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2007.04.09
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カテゴリ:生きていくこと



立夏を過ぎました。
道には野茨が咲き始めています。

この白く小さな花は 立夏を過ぎますとすぐに
その可憐な姿を私たちの目の前にあらわしてくれます。

もうしばらくしましたら蓮田には蓮の葉がそよめくでしょう。
そしてその重なる葉の間から 白蓮華の花が真っ直ぐに伸びてゆくことでしょう。




「如蓮華在水」

泥中にあってもその泥に染まることなく美しい花を咲かせることから
この世において清く生きゆくことの例えとされています。

・・・確かにそうだと思うのです。
人の世を生きてゆくことは確かに辛いことの方が多いのかもしれません。
けれどその中にあっても、真っ直ぐな心をたもってゆきたい。
周りに紛動されぬ自身を確立したい。




それと同時に ただ、周りと自身との対比で終わってしまって良いものか、と思うのです。

考えてみますに、「自分の周りは泥である」ととらえるのではなく
自身の心の奥深く、もしかしたら自分でも気付かぬほどの深みにこそ
「泥」は存在するのではないかと。

周りの泥と自身とを対比させる方法では
「如蓮華在水」の持つ本当の意味に辿り着けないのではないかと。




「周りの泥」をどうとらえるかは個人によって様々違ってくることでしょう。

泥を 病苦との闘い、経済苦における闘い、家庭不和の闘い等々
人生における苦難そのものとしてとらえることもあるでしょう。

中には、周りの人々の心ない言動こそが泥であるととらえる人もいるでしょう。
確かにそういう部分もあるかもしれません。
しかし、自分の心の中にも泥はあることを忘れてはならないと思うのです。




この日記におきましても幾度か書いてきたことではありますが
仏法で説かれるところの十界論を思いますに この瞬間瞬間、
私たちの心は必ず この10種類の生命状態のいずれかに属するのだと。

何を思い、何を話し、何を行ってきたのか。
一生をかけてそれら全てが蓄積され、今世での生を終える間際に現れる。
自身の心の奥から。余すことなく。



・・自身の生命状態を考えてみますに 
今この瞬間には穏やかな人界にあると思えば次の瞬間には天界、そして修羅界と
目まぐるしく移り変わってゆくわけです。

しかも自分で意図して移り変わってゆくわけではなく
縁に触れることによって いとも簡単に紛動されるわけですね。




この年齢になりまして痛切に思いますことは
他者の気持ちに寄り添うことのできる自分になりたいということです。
共感能力を深めていきたいのです。

こう思うきっかけとなりましたものに、出産育児が挙げられるのではないだろうか、と。
そして数日前の日記に書きました数年前の悲しみも。
この2つの出来事は、未熟な私を鍛えてくれました。


出産の痛みも苦しみも想像を絶するものでありましたし
その後に控える育児も それまで自分が朧気ながら持っていた自信を粉々に打ち砕いてくれました。

そう、育児をしながら仕事も十分に続けていけると思っておりましたし
育児といいましてもさほど大変なものでもなかろうと思っていたのです。
家事も仕事も育児も きちんとやり遂げられるだろうと思っておりました。

しかし蓋を開けてみますと 月満ちて生まれてきた我が子は昼と夜とが逆転し
私は産後間もない頃から1年間、朝の6時まで起きる日々が続きました。

おっぱいやミルクは3時間おきと本には書かれてありましたけれど 本の通りに行くわけなどなく
3時間おきどころか、10時間以上も泣き叫ぶ我が子を抱っこし続けなければならないのでした。

おまけにミルクは飲まない、私のおっぱいは出ない。
このままでは娘が死んでしまう・・と必死だったのです。

そう、今となりましては ミルクを飲まないからと言って
大変な事態を引き起こすわけではないと分かるのです。
けれどその頃は産後間もない頃で 精神状態も非常に不安定な時期でしたし
実家も遠く、どなたに相談して良いか分かりませんでした。

・・・そんな時 私の状況を聞き、近所の方々が助けに来てくださったのです。
お聞きしますと 皆さん、ご自分のお子さまが昼夜逆転の方ばかり。
そしてミルク嫌いのお子さまを抱えた経験のある方もいらして下さったのです。

皆さん、代わる代わる どうしたら私の娘がミルクを飲むようになるか試して下さいました。
いろんな種類の粉ミルクを持ってきてくださいました。
抱き方が悪いのではないか、ミルクの温度が高いのではないかなど
様々な原因を一緒に考えてくださったのでした。
そしてまた、どのようにすれば娘が夜眠るようになるかいろいろな方法を教えてくださいました。

・・・そのひとつひとつのお話を伺いながら 私は涙が出て仕方ありませんでした。
なんて温かいのだろうと思いました。

そしていつか自身の子育てが一段落し、私よりも若い方々が育児に悩んでいらっしゃる時には
私もすぐさまその人の元に駆けつけ、少しでもお手伝いができるようになりたいと思ったのです。


・・・当時から既に10年以上の時間が経過致しましたが
我が家の玄関先で あるいは部屋の中で娘を抱っこしてくださり
どうしたらミルクが飲めるようになるか、夜眠るようになるか一緒に考えてくださった方々のお姿は
今も深く私の心に刻まれております。生涯、決して忘れることのできない出来事です。




出産育児を通し、自分がいかに弱い人間かということを痛感致しました。
そして自分の弱さをいやと言うほど見つめましたことにより
他者に対する自身の眼が(ほんの少しでも)温かくなってきたのではないかと思うのです。

誰しも我が子を抱えて必死なのです。
確かに 表面に現れる姿は様々なものがあるかもしれません。
けれど皆 自分に可能な限りの力を出し切ってへとへとになっているのです。

疲れ切り、途方に暮れている若いお父さんお母さんたちを叱咤して
一体何がどう変わるというのでしょう。


・・11年前 家事も育児もきちんとしようと躍起になり、疲れ切っていた私を心配した夫の両親が
育児漫画を贈ってくださいました。

その漫画の中には 筆者の、育児をする中での失敗談、エピソードがたくさん詰まっており
私は「ああ、そうか・・・完璧にしなくてもいいんだ」と心から安心し、ほっとしたのです。
ほっとしながら、そしてその漫画を見て大笑いしながら、夫の両親の温かな心遣いに深く感謝し
涙が出て仕方ありませんでした。

・・その時に、ふと気付きました。
夫の両親も、お互いの実家を遠く離れたこの関西の場所で本当にご苦労をなさりながら
子育てをしてこられたのだと。
だからこそ、育児や家事に悩む嫁の気持ちを 温かく深く理解してくださっているのだと。

自身がどれほど苦労したか、苦しんだか。
そのことが、他者に理屈抜きで寄り添うことのできる 唯一の法なのだと知りました。






苦しみ悩む中で「自身」が見えてくるのであり
そして同時に他者の気持ちにほんの少しでも寄り添うことができる。

自身の胸の内を見つめることにより 「泥」は他者の中にあるのではなく、周りにあるのではなく
自身の胸中深きところにあることに気付く。

しかし、自身の中に泥が存在することを憂うのではなく
ましてや他者の中にある泥を厭うのではなく
その泥の奥深くにこそ「仏性」は等しく存在することを信じていきたいと思うのです。





私の住むこの土地は蓮田の多いところです。
実は今日、その蓮田の傍を通りかかりましたときに 
14年前の披露宴での お仲人さんのお言葉をふと思い起こしたのでした。

そのスピーチの中におきまして お仲人さんは
「新婦の○○さんは白蓮華のような女性で・・」と仰いました。

正直申しまして 自身を振り返ってみますに
白蓮華の花にはちっとも似ておりません(笑)。
むしろ・・・野菜に例えますと・・・牛蒡?   いや、その、いいんです b(T‐T)



時折我が家に遊びに来てくださるお仲人さんにその理由をお訊きしましても
「自分で考えてみぃ」と笑っておっしゃるだけ。

そこで我が家にあります仏教関連書を引っ張り出しまして
自分なりに考え続けてきたのでした。

・・・考え続けてきました結果
蓮華の花のようにひたむきに生きてゆきなさいとの
お仲人さんのお言葉ではないかと思い至ったのです。






確かに 泥の中に置きましてもその泥に染まることなく
清く真っ直ぐに生きていくという考え方もあることでしょう。

そして同時に(これは全くの私見に過ぎませんけれども)
十界を備える人間として時には地獄、畜生、修羅の生命状態に陥ることがあったとしましても
その奥には まぎれもなく仏と同じ清浄無垢な生命が脈打っているのだと。
誰しも等しく仏性を秘めているのだと。

その泥を十界の内の九界に例え
泥の中に置いてもなお美しく咲き誇る蓮華の花を仏界に例えたのではないかと そう思うのです。
天が、白蓮華の花の姿をもって仏界の存在を指し示しているのではないかとも思うのです。




この世におきまして自身が苦しみ悩むということは
仏教的な考え方をすれば 確かに「宿業」と言うこともできるでしょう。

しかし、一方では 他者に深く寄り添うことのできる自分になるために
自ら招き寄せた苦しみではないかと。

その苦しみ、悩みの中で自己を見つめ 他者の気持ちを心から理解し
自他ともに立ち上がっていくためのものではないかと思うのです。







・・・もう少ししましたら 蓮田では瑞々しい葉が重なり合うことでしょう。
その蓮田の上を一陣の風が吹き抜けていきます。

その重なり合う葉の中から仄かに顔をのぞかせる蓮華の花は
天を目指して どこまでも真っ直ぐに伸びてゆきます。




泥を厭うのではなく そのまま受けとめて
自身の心を天に向ける。


真っ直ぐに

ひたむきに。







    夏は来ぬ  天空ふかく 風はゆき

             蓮華の花の 白く咲き初む













・・・時は初夏

凛として咲く白蓮華の花に逢えるのも
きっと もうすぐのことです。





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Last updated  2015.06.04 13:00:39
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