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カテゴリ:故郷
ここしばらく、故郷の夢ばかりを見ます。 ひとつめは、小さな頃に住んでいた家の夢。 あともう少し歩けばあの家に帰れる・・・と思い 夢の中で一生懸命に歩き続けるのだけれど いつも、いつも辿り着けない。 この橋を渡り終えれば、あの家に帰れるはずなのに いつも その橋を渡り終えたところで夢は途絶える。 ふたつめは、懐かしい家が取り壊される夢。 思い出のたくさんつまった家がいつの間にか取り壊されていて あとは更地になっていて 夢の中の私は「・・・・還る場所が無くなった」と まるで小さな女の子のように 泣き続けていた。 不思議ですね。 どうして夢の中だと 素直に泣く事ができるのでしょう。 現実の私は どんなに悲しいことがあったとしましても (涙ぐむことはあるにせよ)人前で泣くことはありません。 おそらくは他の方々もそうであるように。 自分の泣く場所はちゃんと決まっていて お風呂の中か、夜、車を運転しているときかそのどちらかであって ましてや人前で、など。 末の妹など、親の前でわぁわぁ泣くのですね(笑)。 そんな彼女の姿を見て、ああ、いいなぁ・・と うらやましく思うわけです。 では、私もそんなふうに振る舞えばいいではないかと思うのですが 何故でしょうね、できない。 ・・・・7歳の頃、交通事故で4ヶ月ほど入院しておりまして ちょうど今頃の時期でしたか もうすぐ退院できるということになったのですね。 自力歩行もできるようになり これならもう自宅に戻ってもよいということで退院許可が下りたのでした。 怪我をした右手は長い入院期間中包帯でくるまれておりまして その間 自分の手の傷など余りきちんと見たことはなかったのですが 退院間近のある日、看護婦さんに右手の包帯を取って頂きまして そこで改めてまじまじと自分の右腕を見たのでした。 覚悟はできておりましたけれど やはり現実を突きつけられますとさすがに辛いものがあり けれど、その時、両親もすぐそばにおりましたので 咄嗟に「歩けるようになっただけでもいいよねぇ!」と申しました。 ・・・もう私疲れたから眠る、と言って両親には自宅に帰ってもらい その後 1人で病院の中庭に出たのでした。 パジャマの上にカーディガンを羽織り 中庭のソテツのそばにしゃがみ込みました。 ・・・そのそばにしゃがみ込んで ソテツの実を探しているふりをしながら 少しの間、えんえんと泣きました。 右手の傷のことで泣きましたのは 後にも先にもこの時だけです。 病院のベッドの上で泣いてしまったら 同室の患者さんが気になさるでしょうし それに 泣いているところを看護婦さんに見つかってしまったら 看護婦さんがそのことを私の両親に伝えるかもしれないでしょう? そしたら両親が心配するかもしれない。 だから、ベッドの上では絶対に泣かないように・・と思いました。 トイレもね、こういうとき、案外ダメなのですよ(笑)。 患者さんの人数の割にはお手洗いの数が少なく すぐに「トントン」とドアを叩かれてしまいますのでね 治療やリハビリがあまりに辛く よくトイレに逃げ込んで泣いていましたので そうしてますと、必ずどなたかが「トントン」と、「まだ?」と ドアを叩いてこられるのですね。 ・・・・中庭は私の大好きな場所のひとつでありました。 大きなソテツの木がありましてね その実が赤く、とてもきれいだったのです。 暖かい日などは中庭に出て よくソテツの実を取っておりました。 ですので もしも ソテツのそばで泣いている私をどなたかがご覧になったとしましても まるで ごそごそと地面に落ちているソテツの実を探しているようにしか 見えないだろうと思ったのですね。 もしも「どうしたの?」と話しかけられたりしたら さっと涙を拭いて あらかじめ手に持っていたソテツの実をその方に見せ 「きれいな実、あったよ~」と笑えば大丈夫だ、と その小さな頭で考えていたものでした。 今にして思えば なんて可愛気のない子なのでしょう(笑)。 でも、仕方ありませんよね、 これもまた まぎれもない自分なのですから。 そんな可愛気のない自分がどうにかこうにか生きていられるのは 今も、還れる場所があるからなのです。 そう、確かに 現在の実家は県北にありますけれど 私が本当に帰りたいのはその町ではなく 幼い頃を過ごした山間の小さな町・・・飫肥なのです。 飫肥で過ごした懐かしい家。 ・・・小さな庭には、弟たちがこしらえた落とし穴があって 庭に突き出たベランダは父のお手製で 青い色をした網戸からはいつも風が入ってきて 裏庭には母の育てていた苺がなっていて 台所には小さな冷蔵庫。 洗面所には二槽式の洗濯機。 おこたがあって 箪笥があって 私たち子どもの机が並んでいて あの頃の母は部屋の模様替えが大好きで 小さな家の中を ああでもない、こうでもないと 家具の位置を変えながら楽しそうに歩き回っていました。 ・・・今でも その家のことを思えば まだ20代の若い両親と 小さな小さな私たちが その思い出の家で 笑いながら過ごしているように思えるのです。 そして ふと その家に迷い込んだ私を見て 「おかえり。」 「今まで どこ行ってたと?」と 笑いながら 温かく迎え入れてくれそうな そんな気がするのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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