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ひよきちわーるど

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2009.06.19
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カテゴリ:徒然に

最近、京都にまつわる本を読んでいたのだけれど
そのなかに、東京で育った著者が
京都の町屋に住み着くという内容のものがあった。

(ここでは著者名、本の名、いずれも伏せておく)



初めの方こそ、興味深く楽しく読んでいたのだけれど
読み進めていくうちに・・・何だか違和感を感じてしまった。

その違和感が何処から来るのか、自分でもわからなかったのだけれど
ただ言えることは、京都のことは
京都で生まれ育ち、今もその中で生きている人にしか
本当のところはわからないのではないかということ。

だから、余所から京都に移り住もうとも
京都の街のことを深く愛していようとも
結局は余所者に過ぎないのだということを
どれだけ自覚しているか、ではないかと思った。

・・・こんなことを書くと 著者に対し失礼なようにも思うのだけれど
でも、これは本当の気持ちでもある。



自分は余所者に過ぎないという気持ちを持ち続けることは
想像以上に大切なことだと思っている。

京都という、文化と歴史の街に対し
様々な知識を得たとしても、それはあくまで表面的なことに過ぎない。



・・・言葉遣いにしてもそうである。

たかだか数年、その街に住んだだけで
その街の言葉をマスターできるとは思えない。

長い長い時間をかけて
少しずつ自分の中に取り込んでいくことこそが
その街に対するひとつの礼儀だと思う。


だからこそ、著書の中にたびたび出てくる京都の言葉に
少々不愉快にもなってしまった。

生粋の京都の人の言葉であれば美しい響きとなるだろうけれど
京都に越して数年しか経っていない場合には、どうしても借り物である。

借り物でしかない言葉を
安易に著書の中で遣ったとしても、美しくはない。





・・・何だか珍しく手厳しい内容の日記となってしまったけれど
このスペースでは、自分の思うことを正直に書いていきたいと思っている。

確かにこの本の中では
京都の暮らしについて詳しく書かれてあるのだけれど

なんだか、京都の方々の美しい暮らしの中に
ずかずかと無遠慮に入っていくような
そんな印象を受け、少し 悲しくなってしまった。









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Last updated  2015.03.21 00:36:09
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