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ひよきちわーるど

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2011.03.09
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カテゴリ:思い出の人
今、手元に8歳の時の写真があります。

お正月に、本家にご挨拶に伺った時のもので
淡い桃色の着物に身を包み
少し恥ずかしそうにしています。

髪を結い、薄化粧をほどこしたことが恥ずかしく
また美しい色合いの着物も 自分にはもったいなく思われて(笑)
それだけに・・・8歳の時のお正月を
今も忘れることができないでいるのです。



その年のお正月には 家族それぞれに様々な想いがありました。
まず、祖母の末期がんからの生還。

本当の意味での生還と言うには5年の年月が必要なのでしょうけれど
ともかくも、大手術を勝ち越え抗癌剤を一切拒否、
その後、有り難いことに再発することはありませんでした。




その祖母が 私のために誂えてくれた着物が
上述の桃色の着物だったのです。

祖母がいそいそと畳紙をあけてくれたときの嬉しさ。
あまりに美しい色合いで 私にはもったいないとさえ思いました。


ちょうどその時の私は
前年の交通事故の影響で右手に大きな傷が残り
幼いながらも、こころのどこかでお洒落を諦めておりました。

どんなに可愛らしいお洋服を着ても
右手にこんな傷があるようでは似合わない。
いかにも滑稽だ、と、お洒落をしようとするたびに自分にブレーキをかけていました。





そんな私に 祖母はこんなにも愛らしい着物を誂えてくれたのでした。

幸い、着物の袖は右手の傷をすっぽりと隠してくれます。



長襦袢を纏い、この美しい着物に袖を通すとき
こころが仄かに華やぎました。

私もお洒落をしても良いの?と戸惑いつつ 
絹のなめらかさ 柔らかさに胸は高鳴ったのでした。




・・・今にして思えば 当時祖母は60歳。

自身のがんを乗り越え、これからさらに
元気に生きていこう、と思っていたことと思うのです。

本当ならば、もっと自分のことに時間もお金もかけられるはずでした。

けれど祖母は 自分のことにはほとんどかまわず
当時、右手に傷が残り意気消沈していた孫娘のために
美しい着物を誂えてくれたのでした。





今も目を閉じれば
その柔らかな色合いが浮かびます。

本当に自分が纏ってもよいのだろうかと
戸惑っていた幼い私。

そばで微笑んでいた祖母。




元気を出しなさい
生きることを謳歌しなさい

そんな気持ちを着物に託し
私に渡してくれたのでしょうか。






・・・・この3月は 祖母の生まれ月。

生きていれば、白寿を迎えていたはずです。



私も44歳、今にして祖母に伝えたかったこと
してあげたかったこと、本当に・・・多くあります。


自分の運転する車に祖母に乗ってもらい
祖母の好きなお店に連れて行ってあげたかった。

祖母の好きなものをきき、自分のお給料でプレゼントしたかった。

好きなお料理を作ってあげたかった。





・・・今、自分の思っていること、してあげたかったこと
最早それらのことを祖母に伝える術もないことを
今更ながらに思うのです。














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Last updated  2015.02.28 10:37:28
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