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ひよきちわーるど

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2013.06.05
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病を得て思ったことは

今、自分は人生の途上において
どのあたりを走っているのか、ということ。

自分にどれほどの寿命が残っているのかということ。



何事においても まず、臨終を思うようになった。

何もこれは、死を見つめ深刻になっているということではない。

まずは自分の死について
「現実的に」考える必要性に気付いた、ということである。

その他のことは枝葉末節、まるで泡沫のようなもの。




先日から取りかかっている家中の大改造も
実は、後々のことを考えてのことである。

私のいなくなったあと、主人と娘が2人して家中の整理を行うとしても
かなりの時間がかかり、相当のエネルギーを必要とするだろう。

家族を亡くした悲しみ、不安、それらを抱えながらの作業である。
本当に辛いことと思う。




この1年半、病気のことを考えぬ日などない。

病気のことを思い出し
そのたび 背筋が冷たくなる。

1日に何度も。



晩年などという言葉は 高齢の方々がお使いになる言葉だと
そんなふうに感じていたのだけれど
40代、50代であっても(人によっては)使うわけである。


病気のことを知って1年半、
確かに、体力がなくなったという理由もあるけれど
外出する機会が少なくなった。

おそらく体力が失われていなかったとしても
それでも、外出は少なくなっただろう。


家の中にいて、万一のための準備をしたり
整理をしたり、もっと他にやるべきことはないかと思いを巡らしたり。

自身の一生の総決算をやろうというのだから
短期間で出来るはずもない。



それを思えば この40代の時に
「晩年」という言葉の重さに気付いて良かった。

本当にやるべき事が見えてくる。




・・・・こんな風にあれこれと思い煩うこともあるけれど

信仰の大先輩の言葉
「使命があればね、死なないのよ」


実に単純、明快(笑)

本当にそうだなあ、と実感させられる。




自分に使命の残っているうちは
そう簡単に死なない。

死んではいけない。


では自分の使命とは一体何だろう、と。



詮ずるところ、自分とは何者か、生命とはどういうものか
自分は何のために生まれてきたのか


探求するきっかけを作ってくれた病に
今は、感謝である。








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Last updated  2013.06.05 12:15:51
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