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数年前、骨董関連のサイトにて京焼の香炉を目にしたことがありました。 江戸後期から幕末にかけてのものと書かれてありましたが その佇まいに惹かれ しばらく目を離すことができませんでした。 それ以来、そのサイトに伺ってはその香炉を目にしていますけれども ・・・じっと見つめていますと 山本周五郎作品「 萱笠 」の情景が鮮やかに目に浮かんでくるのです。 柱も板敷も窓框も、みな艶つやと鼈甲色に拭きこんであり きちんと置かれた道具類も高価な品ではないが、 たいせつにされてきた年月の証しのように、どんな高価なものも及ばぬ 深い重おもしい光を湛えている それは見ているだけでもしんと心のおちつく感じだった。 ・・・私自身、その香炉を目にするたび心洗われる思いではありましたが それは同時に 日々を丁寧に生きているか、女性としての嗜みを失ってはいないか、と 自身を戒める貴重なひとときでもあったのです。 そして いつしかその香炉とともに時を過ごすうちに さまざまな疑問も湧きおこってくるのでした。 骨董の佇まいに触れることにより 人は自身の生き方を問い直すこともあるのだろうか、と。 そして 骨董は人に愛されるだけのものではなく その心に訴えかけてくるものではないか と。 ・・・そのように様々考えてはいましたけれども これらの問いは自分の単なる空想にすぎず、このようなことを他の人に話したとて 「 考え過ぎ 」と言われてしまうだけだ、ということも分かっていました。 ですので、これらの思いは他の人に話すこともなく ずっと胸のうちに閉じ込めていたのです。 そしてその数年後 上記の問いに対する確たる答えを ある本の中に見つけることとなります。 それは『 日本の名随筆・「陶」』の中に掲載されていた 「 信楽大壺 」( 小林秀雄著 ) 。 その中には、こう書かれてありました。 言葉なく、理論なく、 焼き物の姿が人間に要請している美学に人間が随順し、 これを知らぬうちに実践してきたと言った方がいいかもしれない。 ああ、答えがここにあったのだ・・・と思いました。 骨董の姿に触れ、その佇まいに惹かれ いつしか自身の生き方さえ変わっていく。 そのようなことは現実にあり得るのだ、と。 以前の日記にも書きました 白洲正子氏のお孫さんに当たる方の講演会。 講演会の後、講師が拙い私の話に耳を傾け励ましてくださったことを 先日のこの日記にも書きましたけれども ・・・あとになり ふと思い至ったのです。 講師は、白洲正子氏のお孫さんでもあると同時に 上述の小林秀雄氏のお孫さんでもいらっしゃる方。 昭和の時代に書き遺された小林氏の珠玉の文章が 今を生きる者の背中を押して下さり そして氏の想いを受け継がれる講師は、 今ようやく骨董の世界の入り口に立ったばかりの、 およそ初心者とさえも言えぬ者の話をじっと聴いてくださったのでした。 そのことがどんなに有難かったことか。 ・・・私自身、骨董に触れてゆく中で 知識を増やすことに力を注ぐつもりはありません。 万一注いだとて、私などには無理でしょう。 また増やそうと思わずとも 骨董を愛してゆくにつれ 必要なものは自然に積み重なることにはなるでしょう。 ただそれだけのことだと思うのです。 ただ 心惹かれるものかどうか。 心が震えるか。 ・・・遥かな骨董の旅は、始まったばかりです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.07.11 14:14:01
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