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ひよきちわーるど

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2020.02.18
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カテゴリ:生きていくこと

今さらではありますが ふと気づけば、53歳 。

我が身を振り返り、そうか、自分も50代中盤に差し掛かるのだと
(柄にもなく) 感慨深くなりました。


20代前半は、ただただ仕事で精一杯。
27歳になる直前で結婚、そして29歳で出産。

この出産が、自分という人間を本当に大きく変えてくれた、と感謝しています。

1人の命を預かるということがこんなに大きく、重いことだとは…
恥ずかしながら実際に出産するまで知らずにいたのでした。


身体もそう強くはなく、出産を諦めかけてもいましたが
夫と結婚し、ともに暮らしていく中で
彼の血を引く人にどうしても会いたくなったのです。

彼のような人がもう1人この世にいたらどんなに嬉しいだろう、と思いました。
それを思いましたら 怖ろしい出産さえも乗り越えていけるのではないか、と。


・・・・今では夫にそっくりな娘が傍にいてくれ
その有難さをしみじみと噛みしめています。


50代になり、いえ、もっと言えば 病を得て気付かされたことが多くあります。

自分自身、子どもの頃からおとなしく
いるかいないか分からぬタイプでしたから
バレエの舞台で言えば群舞、時代劇で言えばその他大勢の切られ役、
・・・そういうタイプでした。今もそうです。

だからと言って奮起するかというとそういう気持ちにもなれず
偶然ライトが当たったりしますと
ど、どうしよう、とどぎまぎする・・・そんな人間だったように思います。​​​​

それは今から48年ほど前、幼稚園の遠足での出来事でした。
お弁当のあとの自由時間、私は虫取り網を手に蝶々を追いかけたのですね。

あともうちょっとで捕まえられる…!と思い、一生懸命走り続けるのですが
走れど走れど蝶に追い付けないのです。

「 頑張れ、頑張れ 」と自分に言い聞かせながら蝶を追いかける最中
それまでの1年間にわたる幼稚園生活が次々に思い起こされるのでした。


入園式……たくさんのお友達に囲まれ、右も左もわからぬ状況で
先生が「お名前を呼ばれた人は○○組さんに行ってください。」と仰るのですが
まずもってその「○○組さん」という概念が理解できていませんでした(笑)。

隣に座っていたMちゃんが私の名札を見、
「今、名前を呼ばれたよ。○○組さんに行かなきゃ。」と教えてくれ、
一緒に教室に入ってくれました。

( そのMちゃんとは数か月後のお遊戯会にて
  一緒に、絣の着物を着て紅花摘み唄を踊ることに。)


給食の準備をするとき、自分も頑張らなきゃ!と思い牛乳瓶を抱えていましたら
お友達が悲鳴を上げながら近づいてきて、
「○○ちゃんはこれを持って!」と手渡されたのが「ストロー」。
軽い、かるぅい「ストロー」。
たとえ落としても何の影響もないであろう「ストロー」。  


昼休み時間、本当は大きな大きな積み木で遊んでみたかったのですが
それはみんなに大人気で、私はいつも教室の隅で粘土遊びをしていました。
粘土でお団子を作りながら、ちらと積み木の様子を見るのですが
結局は…卒園するまで一度も積み木で遊ぶことは叶いませんでした。

ハサミもうまく使えない、でんぐり返しもできない、身体も1番小さい。
そしてクラスで1、2を争うほどのおとなしさ。
まさにないない尽くしの1年間、これには弱り果てました。


それでも せめて目端の利く性格でしたら良かったのですが
忘れもしない、それは秋の避難訓練の時のこと、

お昼のお弁当の後、担任の先生が「今日は避難訓練があります。」と仰るのですね。
「もうすぐベルが鳴りますから、逃げるときには上履きのままでね。」とも仰るのです。

まず私自身、「避難訓練」の意味が分かっていなかった(笑)。

そこにもって、いきなりけたたましいベルの音。
「逃げますよ!」と仰る先生。慌てる私。
上履きのまま園庭に出、ブロック塀をよじ登る。

よじ登りながら、子ども心に「先生、すごい‥‥。」と思った。
先生が「もうすぐベルが鳴る」と仰ったら、本当にベルが鳴った。


先生は預言者なのかもしれない。
きっと、今日のこの訓練を何度も受けてきたからだろう。( 違ふ )
私も頑張って、預言者になろう。

↑ 余談ではありますが、目端の利くどころではないこのような傾向は
小学校に入学したのち さらに遺憾なく発揮されることとなります。


入学した小学校は城跡に建っていたのですが
その敷地内にある石垣から、メリーポピンズよろしく
傘を持ってふわりふわり 飛び降りようとしたこともあります。






↑ ここです、ここ。
普通、ここから飛び降りてみようなどという発想は生まれないはずです。

ようこそ 今日まで生き永らえさせていただいたことです。

       ( 画像は​宮崎観光ナビ!様​よりお借りいたしました。 )



小学校での算数の授業では、最初、おはじきを使っていたと記憶しておりますが
授業中、先生が「おはじきをお皿に出しなさい」と仰るのですね。

それで皆ざらざらと自分の小皿の上におはじきを出すのですが、
私自身、その雑然と出されたおはじきを眺めつつ、こう思ったのです。

こんな雑な出し方では、ぱっと見たときに
おはじきがいくつ並んでいるか分からないではないか。
これでは問題を解くときに無駄な時間がかかってしまう。

‥‥そうだ、おはじきをきちっと並べ、いくつあるかすぐ分かるようにしよう。
そう思い、小皿の上のおはじきを整然と並べ始めたのですね。

そうしましたら、いきなり先生に頭を叩かれたのです。
こ、これにはびっくりしました。

先生からすれば、クラスの皆、きちんと前を向いて先生の話を聞いているのに
私だけ下を向きおはじきで遊んでいる…おそらくはそんな風にうつったものでしょう。

おはじきの並べ方について6歳なりに考えた上記の工夫など
先生に伝わろうはずもなく、先生にお叱りを受けながら
「自分の考えが、他の人にそのまま正しく伝わるとは限らないんだ」と思ったものでした。





・・・話が逸れました。

「 頑張れ、頑張れ 」と独り言ちながら 変わらず蝶を追って走り続けていましたが
ふと「 やっぱり、私には無理だな。」と思うわけです。


でんぐり返しもできなかったではないか。
お遊戯会の劇「 ヘンゼルとグレーテル 」では赤ちゃん役だった。

マーチングではバトンをやってみたかった。でも駄目だった。
マーチングでは自分がどんなパートになるか
ひとりひとりいろんなテストを受けるらしい、とクラスのみんなが話していて
自分なりに一念発起、バトンのいくつかの技をひそかに練習、なんとか習得することもでき
来たるべきテストに備えていたのだけれど、
結局そんなテストなど全然なく、パートについては先生方がさっと決めてしまわれた。
案の定、私はリコーダーだった ^_^; 

その時のちょっと寂しいような、悲しいような気持ち。



・・・・そんなことを思い起こしながら追っていた あの時の蝶の羽の色、
足元、風に靡いていた草の緑。

48年経った今なお鮮やかに覚えています。


( 続きます )









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Last updated  2020.02.18 00:33:28
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