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カテゴリ:Junpei
ようやく風邪もよくなってきたようで、気力の無い生活から脱出しつつある。
昨日から水泳の仕事も再開、代わりに手伝ってもらえる人がいてくれたおかげでゆっくり休ませてもらった。ありがとうございます。 いつも決まったブログ、日記を徘徊している私、その中でもものすごく影響を受けているMさんがいる。Mさんの日記に、記憶力が時々なくなる高齢のお母様のことがよく登場する。 今回もお母様のこと、そのお母様の様子を心配しておられるお父様の話が書かれていた。お父様が不安に感じた時、まっさきにMさんのところへ電話をかけてくるようになっているそうだ。 私も母の癌がわかり、余命少ないとわかってからというもの、父からの電話にいつもビクビクしていたものだ。だからMさんの心情はとてもよくわかる。 電話で「元気にしている」と聞くとほっとしたけれど、たいていはあまり喜ばしいものではなかったな。電話だけでなく、父がMSNにオンラインしているだけでドキドキしたものだ。 最後の電話は「黄疸出てきたわ」だったこともよく記憶している。 前前から、最悪の症状として医者に「黄疸が出てきたら終わり」と言われていたからだ。 不謹慎だけれど、母が死んでしまったらこの恐怖から開放されるんだなと思ったこともある。 最後の電話を受けてすぐに日本に帰り、母の最期の2週間を一緒に過ごした。 あの時、母の姿は悲惨だったし、思い出したくもないけれど、そんな状態でも一日でも長く、一時間でも一分でも長くそこに存在しつづけて欲しいと思ったな。 Mさんのお母様は母とは違って、高齢なだけで元気にしておられる。 数ヶ月前は旅行も楽しんでこられた。 これからもできるだけたくさんの思い出を作って欲しいなと思う。 私と母はすごく相性が良いというわけではなかった。 生きている時はしょっちゅう口げんかもしたものだ。 父に性格がそっくりな私は母の攻撃の対象だったし、母が反対した相手と結婚してしまったし、どっちかといえばうまくいってなかったのかな? それでも私がいたから母もガス抜きができたと思うし、何時間も電話で話したりもした。母は私への説教が趣味だったし… 早く結婚して早く子供を生んだので、その分 孫を持つ楽しさも味わうことができたものね。私も娘を生んで育てたことで、やっと理解できた言葉もある。 子供を育てるってことは自分も育てるんだなと思う。 私も母から受け継いだ言葉を娘にも伝えて行かなければいけないな。 今、娘と私が歩いていると「姉妹みたい」と良く言われる。 私も昔、母と歩いていると同じようなことを言われた。妹みたいと言われて「わたしゃそんなにふけてるかね。」と腹立たしく思ったりもした。 それでも参観日にはおしゃれして来てくれる母を、どこのお母さんよりもきれいだと思ったし、まわりのお母さんたちとは外見も性格も趣味もぜんぜん違う母を自慢に思ったものだ。 でも妙に頑固で折れない性格の母に手を焼いたり、不満に思うこともあった。 子供のころはよその親より厳しく、よくぶたれたものだ。 そんな全部をひっくるめて、私は今彼女のことがとても恋しい。 声を聞きたいと思うし、あのかわいい顔を見たいと思う。 一緒にお買い物に行きたいな お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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