内藤湖南の「東洋文化史」
表記の本を図書館から借りてきた。内藤先生の主著を収録している。「日本文化史研究」(講談社学術文庫)は所蔵しているのだが、全部収録されていた。スルメのような名著である。○伊勢神宮はかつては庶民が立入厳禁だった。伊勢神宮の祭神は天照皇太神である。応仁の乱までは皇族・貴族しか入れない神聖な場所だった。しかし応仁の乱によって天皇家・幕府ともボロボロになり貢ぎ物が絶えてしまい伊勢神宮が維持できなくなってきた。京都吉田神社の神主が庶民にも開放して貢ぎ物を持ってくればお参りを許す事を提案した(1482)ことがきっかけとなって国民全員が参詣するようになった。○暦を庶民に売って金集め伊勢神宮を維持する資金を集めることは参詣者の貢ぎ物だけでは足らなかった。土御門家が作った暦を売ることも1510年頃から始まった。○日本が東洋文化の中心にシナが東洋文化の中心であり続けましたが、その中心が近年(1910年以降)日本に移ってきました。 と断言しちゃってます。○応仁の乱が明治維新成功の遠因応仁の乱によって貴族文化がめちゃめちゃになった。古文書がほとんどなくなってしまったけれど、それがきっかけで貴族が生活を維持するために文化を庶民にも切り売りするようになった。庶民が伊勢参りをしたり古事記や和歌・お茶・源氏物語などを学ぶようになって・・国民国家が形成される精神的基礎ができた。それが明治維新→国民国家への移行が成功する遠因となった。災い転じて福と成った、と言える。中国や朝鮮にはこんな事はない。