さかのぼり日本史
さかのぼり日本史(NHK教育テレビ)を昨日見た。放送内容 宝永地震 成熟社会への転換昨年10月に放送されたものの再放送を見た。--- 引用 --- 戦乱が終わり、経済の繁栄を極めた元禄期。列島の各地では新田開発が進み、米が増産。人口も急拡大するなど、右肩上がりの経済成長を続けた。しかし、この繁栄に終わりを告げる出来事が起こる。宝永4年(1707)に起きた宝永地震と巨大津波だ。マグニチュードは推定8.7。東海地震、南海地震、東南海地震が連動して起きた巨大な地震だった。地震の後にやって来た津波は、和歌山県から四国沿岸部を中心に、村々を壊滅させた。これを機に経済成長は終わりを告げ、停滞を余儀なくされていく。この低成長時代に、社会は一転して「量的な拡大から質的な充実を求める社会」へ転換を図っていく。> 巨大地震を機に、低成長に見合った社会構造への転換を成し遂げた江戸中期の歴史を見ながら、現代にも通じる教訓を探る。 -- 引用 終了 --番組の趣旨は上の紹介文の通りだ。NHKの制作者のメッセージは、「江戸の人たちは地震に負けず、地震から学んで社会構造への転換を成し遂げた。だから現代の日本人も希望をもって頑張りましょう」というものだ。確かにそういう側面はあったが18世紀前半の日本は暗黒時代だったと言わざるを得ない。道策が1702年に死んでから察元・大仙知が出るまでの60年間は日本囲碁史の暗黒時代だった。経済が高度成長した元禄期には名人上手が雲霞の如く出現したのに、経済が停滞した時期には大した棋士が現れなかった。現代でもバブル崩壊までは日本の囲碁は世界最強だったが、90年代には韓国が2000年代に入ってからは中国に覇権が移っていった。これ経済が活性化した地域で文化も興るという証拠だ。1703年の元禄地震、1707年の宝永地震と富士山大噴火、この三大天災は当時の日本にとって壊滅的な打撃を与えた。とくに宝永地震は凄かった。高知県から静岡県に及ぶ範囲がフクシマの原発を飲み込んだ規模の津波に襲われたのだ。今でいう東京・名古屋・大阪の三大都市圏が全部やられたのだ。地震の規模としては昨年の地震は日本史上過去最大だったが、被害が過去最大だった訳ではない。八代将軍吉宗は将軍家や御三家で多くの人が夭折したために将軍の座についた。囲碁の棋士も夭折した人が多かった。これは同時代の日本人全部そうだったのだ。元禄期には3000万人を超えた人口が2000万人にまで減った。天災によって灌漑設備が倒壊し、低湿地に作った新田があらかたダメになったことで食料生産が激減した。外来植物のサツマイモ・ジャガイモ・カボチャの栽培が奨励された。これ飢餓対策だったのだ。そういう時代だったのだ。震災を乗り越えるには長い時間が必要だった。NHKには本当の事を伝える番組を作っていただきたい。