19世紀末の日本と朝鮮
イザベラ・バードの日本紀行と朝鮮紀行を読みました。1880年代の朝鮮は○李氏朝鮮はソウルとその周辺しか支配していなかった。平穣はロシアと中国が支配していたし釜山は日本が支配していた。○日本は朝鮮から年間20万トンもの米を輸入していた○朝鮮最大の輸出品は砂金だった。朝鮮半島は至るところで砂金を産するがゆえに国土が禿山だらけなのだった。明治初頭、欧米列強は中国と日本を開国させて交易による利益を得ようとしましたが、朝鮮にはあまり関心がなかった。しかし日本人はどんどん釜山周辺に進出し産業を興していったのを見て朝鮮市場の可能性にイギリス・ロシアなどに着目するようになりました。明治8年(1875)には日本の一円と米1ドルは等価で、朝鮮の銭3200枚と交換できたそうです。めちゃくちゃに朝鮮の物価は安かったので博多・小倉・下関の商人が釜山に進出して日本で売れる物を買いまくりました。次に継続的に商品を確保するために日本資本の商店や工場が作られたのです。西郷隆盛や板垣退助の征韓論は失業した武士などに仕事を与えるために朝鮮という市場を使おうというもので、朝鮮南部を日本が租借して旧士族を現地の警察官などにするという話だったのです。ただそれをやるとイギリスやロシアを刺激するから止めろというが大久保利通などの意見で、私もそれが正しかったと思います。結果的に日本政府はすでに進出していた日本人とその企業を護るために軍事的に介入するようになりました。日本が朝鮮に経済進出しなかったら・・日清戦争や日露戦争はなかったかもしれないと私は思いました。物価・賃金水準の低い国が経済開放政策に転じると隣国から人や資本が流入して低賃金国から隣国に輸出が増える。これ1980年以降の中国・日本と同じです。1880年以降の朝鮮と日本の間にも同じ事が起きたのです。しかし長い目で見ると日本の朝鮮進出は日本の国益を損なうものでした。どうも今の中国もそうなりつつあるように見えます。