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カテゴリ:わたしの悔路愚
昨夜スタジオの仕事に行く前に、一昨日書いた日記の補足として、チャクラやそれに纏わる聖書の話なんかを小一時間かかけてアップしようとしたのに、この使い勝手の悪い楽天ブログのせいで、すべて水泡と帰してしまった。
二度とあんな名文は書けないであろう。 概要 要するに、チャクラとサウンドとは対応しているんどす。 チャクラというのは肉体を維持する五臓六腑の諸器官とは別に、「肉体、魂、別次元」を結ぶ、いわば霊のための器官として存在しており、この世に生を受けし者すべてが有しているいるんですな。 ただ、肉我に根ざした偽りの人格というものに気付き、霊的自己に目覚めようとしない限り、その存在に気付くことは無いんだす。 皆さんが「これぞ私」と思いこんでいる現在の自我というのは、すべて後天的に作られたもので、偽りの自己なんですな。 よく考えてみれば解かるけれども、この世に生を受けたばかりの赤子には自我というものは存在していないんですよね。 「自分 対 何某」「自己と他者」という認識を得て、初めて自我が芽生える訳ですからね。 そしてその自我というのは、実はすべて他者の視線によって作られたものなんですな。 他者を意識すること、自分という存在とは別のものの意識を感知することによって、自分の立ち位置、キャラクター、というのは作られていくわけですからね。 そしてそれに気付かずに生きている人が大半なんどす。 まあ、そんなことに気付かずとも日常生活に支障は無いし、飯も食えれば雲古も出来るし、問題ありません。私にゃ関係無いっす、っう感じがするでしょう? でも、昨今の頻発する凶悪犯罪やなんかは、全てその「暴走した偽りの自己」が巻き起こしているんですよ。いわば魂の死者の群れ。魂が眠りこけているがためにこんな世の中に。 ああ、恐ろしい。目覚めていたいもんです。 ですから聖書にあるように「偽りの自己を捨てて、生まれ変わらずして天の御国を知ることあらず」、イエスの説いたBorn Again、生まれ変わりとは「自我を超えて真我として生きよ」ということなんだす。 そこで大切になってくるのが内観瞑想なんですね。 別にイエスの教えでも、釈迦の説いた正見、正想などで知られる「八正道」でもいいんです。 とにかく魂を目覚めさせ、地獄から脱出しなければ。 そこでチャクラの機能というものが初めて認識されるわけなんだす。 で、そのチャクラというシステムは、ドレミファソラティ(ド)で知られる音階と、密接な繋がりがある、というようなことを5万字くらい書いたのですが、全部消えてしまったのですよ。 あ、結局、なんの説明にもなっていませんな・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 12, 2007 09:44:09 AM
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